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まほろば 奈良教会長コラム

令和5年12月度 ご法話を学んで

2023.12.1

佼成12月号】

(朗読 MP3)



奈良教会発足50周年の
貴重な一年を皆さんとお迎えし
「感謝・出会い・継承」
を胸に新たな精進へ決定
することができた方々も、
そうでない方もそれぞれ
誰もが精一杯に人生を
歩んでゆくことを願って
いることと存じます。

「その一歩先へ」
という気持ちで新たな年度を
お迎えしたいと願っております。

私自身も、この節目をもって
新たな場所での修行となりました。

45周年から50周年という5年間は
長いようで短くも感じております。

皆さまから頂いたご厚情を糧として
今後の精進を決定いたします。

さて、令和5年最後の月、
佼成12月号
「いつでも元気-病も辛苦も善知識」
に学ばせて頂きたいと存じます。

前項、
【災難に逢う時節には・・・逢うがよく】
12月8日は成道会です。

ここでは釈尊の説かれたご法
にめぐりあえたことが、
いかに有り難い事かを
噛みしめて参りましょう。

人の力ではなすすべのないものだからこそ、
それをあるがままに受けとめることが、
辛苦に押しつぶされることのない
人生を歩めるとお示しくださいました。

その言葉の冷淡さに目が行きがちですが、
真実を伝える厳しさとともにそこに
溢れる慈しみの心を感じることが
できる受け止めかたという双方の間に
見えるサンガらしい信頼関係に
会長先生も仰るような清々しさを感じます。

私たちにもそんな間柄になれるという
希望や明るさを持てたとしたら
幸せなことだと思います。
後項の【ただ「心田を耕す」のみ】
にあるように“善知識”とは、
「人生をどう生きなければならないかという
大問題に眼(まなこ)を開かせてくれる友」
であり
「病はこれ真の善智識なり」
の一言をうけて、災難も病もどちらも
それに遭えば嘆きたくなる事象です。

それも、前項のように受け入れ“善知識”
としてとらえることができれば
同じく辛苦に打ちひしがれるどころか、
前へ進む智慧に目覚めるとありました。

かくいう私も心臓の病によって
人生の切り換えをした体験は、
病のおかげさまで菩薩としての
生き方を目指すきっかけにもなったことから、
その後に多くの出会いも善友(サンガ)
として精進の仲間と今日まで来ることが
できたものと感謝で一杯です。

ここに健康と病は対立するものではない
という見方ですが、
生と死が表裏一体であるように、
健康だから病にもなり、
病も健康であることの有り難さを
かみしめることで、
感謝を忘れていた自分を
気付くチャンスでもあると言えます。
「全力をだしきって行動し、
ぐっすり眠ること」
が健康の秘訣とあります。

自分のなすべきことに精一杯とりくむと、
もちまえの「生のエネルギー」が
はたらくということでしょう。

とお示しくださいました。
若い方は少しぐらい寝なくても
数日は元気だなんて
過ごすこともありますが、
年齢を重ねると寝ることも
大変になるとも言われます。

これも私自身実感しているところです。

しかし、全力で取り組んだ
と思える日は眠りも深く、
たとえ睡眠時間が短くてもスッキリと
一日を過ごせるようです。
皆さんはいかがでしょうか。
最後に、この12月は
発足51周年を新たに迎えるにあたり
準備期間でもり、
身心ともに新鮮な気持ちで
精進をお誓いできるように、
ご著書「心田を耕す」のはじめにの中に、
【仏教の開祖である釈尊にならうこと、
そして、釈尊が私たちに伝えたかった
根本は何であったかを明らかにし、
真理・法に随順して生きることが
真の幸せ・生きがいを見出すことになる
―そのことをみなさまとともに
考えてまいりたいとの思い】
に指標を得て精進の誓願を
させて頂きたいと存じます。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和五年 11月度 ご法話を学んで

2023.11.1

【佼成11月号】

(朗読 MP3)



十月十五日にTHE KASHIHARA
(旧橿原ロイヤルホテル)に
おいて奈良教会発足50周年記念式典を
皆さんのご理解とご支援によって
無事挙行することができましたこと
心より御礼申し上げます。

また、この場を借りまして、
御参集下さいましたご来賓の方々をはじめ
ご祝意をもってお越しくださいました
皆様に置かれましてはご多用中にも
関わらずのご礼賛、
重ねて御礼申し上げます。

頂戴しましたご祝辞を拝受し
今後の地域との連帯と自身の仏道精進を
お誓いさせて頂きたいと思います。
さて、令和5年度最後の月、
佼成11月号「愚痴はほどほどに」
に学ばせて頂きたいと存じます。

前項、
【「知」が「病む」と「痴」になる】
から、
今年の夏は暑く長く続き、
つい最近まで半袖でも
可笑しくない状況でしたが、
その際に言っても
どうにもならないことに対して
「暑い、暑い」
と誰に言うでもなくグチグチ呟いていた
自身を思い返すと赤面するばかりです。

ここで、天地自然のありようや
過去のできごとなど
【いっても仕方のないことをいって嘆く】
ことを
「愚痴をこぼす」
というのだそうです。

また、〈痴〉という字についても
(知がやまいだれに囲まれた状態)
という例えもあわせて、
知識ではわかっているけども
正常ではない状態の心境や発言と
受け止めると出発点は見えたようです。

本来、理知的な受け止めが
できる私たちならば、
その原因に向き合い、
自分勝手な欲望や怒りが
暴走しないようにするには・・・
大切にすると良いと仰って下さっている
ところを掴ませて頂きたいものです。

後項、【愚痴を聴かせてもらう】では、
他者と協力したり人を思いやったり、
未来を想像し、
推測できる能力を備えている私たち・・・
それを発揮すればいいと
お示しくださいました。

では、具体的に発揮するとは?

「愚痴の病には縁起観を教える」
という涅槃経から、
日ごろから教えて頂くように、
『自分があらゆるものに
生かされていることを知り、
そのイメージをふくらませてみる。』

それは『感謝の生活』を送ることが
できれば愚痴はおのずから減ってくるそうです。
愚痴↔感謝 ととらえると感謝
に向っての精進を現在させて頂いているかを
再確認してみると良いと思います。

なんのご縁だったかは失念しましたが、
感謝の捉え方も大きく見て二つに
整理したことがあります。

一つは、卑屈な視点から見た
感謝とでも言いますか、
自身を小さく見限ったうえでの受け方と、
謙虚な視点から見た感謝と言いますか、
自身の身の丈にはもったいないと
あるように思います。

言い足すなら、感謝の大きさは変わらずとも、
自分のありようの見積もり違いを
しているというイメージでしょうか。
皆さんは如何でしょうか。
最後の件には、愚痴を一切言っては
ならないとは仰っておられません。

前向きになるための愚痴もあるでしょう。

しかし、いっても仕方が無いことに
捉われるのはやめたいものです。

更に、愚痴を聴かせていただくこともありますが、
そのお相手と共に人生の突破口となる
「智慧の心」
をいっしょにさぐるという
菩薩行にもつながるものと思います。
今月は開祖さま生誕会のご縁と共に、
奈良教会50歳の誕生日を重ねて、
報恩感謝の誠をかみしめ親孝行、
先祖供養、菩薩行実践の決定を期して
新たな一歩を踏み出して参りましょう。

合 掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和5年 10月度 ご法話を学んで

2023.10.1

【佼成10月号】

(朗読 MP3)



秋季彼岸会を有り難く過ごさせて
頂きましたことを感謝いたします。

また、9月12日には橿原神宮を会場に
第20回奈良県宗教者フォーラムを
実施させて頂きました。

元神宮(伊勢神宮)で
森林管理に携われていた
村瀬講師さまの講演に即して、
パネルディスカッションに
登壇させて頂きました。

自然と向き合うことで
人間の生活との距離感や必要性を
学ぶ機会ともなりましたが、
皆さんの日々のご修行の尊さを
少しはお伝え出来たとしたら
有り難いことでした。

それでは佼成10月号
「心も体も傷つける「怒り」」に
学ばせて頂きたいと存じます。

貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・
愚痴(ぐち)の三つは、
心を毒する三毒といわれます。

その中でも「瞋恚=怒りや憎しみ、
恨みの感情」は身心ともに
影響があることは、
様々に示されています。

ですから、怒りとどのように
付き合っていくのかが
重要なポイントといえます。

これまでも抑えることに
一喜一憂していることが
多々ありましたが、
近年、怒りは無くすことより
コントロールする捉え方について
教えて頂くことが
多くなっているようです。

ピークの6秒と付き合うかを
繰り返していくことが、
訓練であり精進とも言えそうです。

後項では「損して
「徳」を得る」にあるように、
怒りの根本は自身の中にある
損得勘定やプライドへのとらわれから
生じるわけですから、
「山澤損(さんたくそん)」
にある山裾を刻む沢のように
深ければ深いほど山容を高く美しく
見せることができることを、
更に自分が身を削って
人の役に立つならば、
結果としてその人の「徳」が
高まるとお教えくださいました。

それを踏まえ、
【負けるが勝ち】という言葉のように、
人に譲る気持ちで損を引き受けるほうが、
心身両面においてよほど健康的で、
つまりは「徳」だということだそうです。
過去、先輩方から相手の立場に立つや
相手を立てるなどの修行指針を
承って参りました。

その究極が
【積極的な負け】
【自ら願って(楽って)頭を下げる】
という常人ではなかなかできないことを、
いとも簡単にさらりとできる私たちに
ならせて頂いていたことに、
感動を覚え更には、
感謝の念に到達させて
頂いたように存じます。

最後に、10月は
開祖さま入寂会の月であります。

開祖さまの「徳」を
身につけさせて頂いた感謝と
菩薩行実践を大誓願として、
10月15日(日)の
奈良教会50周年記念式典に臨ませて
頂きたいと念願しております。

そこでは多くの皆さんに感謝の言葉を
お伝えできる最良の機会と思います。

また、開祖さま、脇祖さまの
お徳にふれる展示は10月末には
次教会へご移動為されます。

この50周年という意義ある年に、
奈良教会に2か月間ではありましたが、
その御身をお迎えさせて頂けましたこと、
更には、開祖さま、脇祖さまが
身近に居て下さった安心感は、
言葉には言い表せない心持ちです。

存分に両祖に触れて頂き、
仏さま、両祖の令法久住の大誓願に
呼応して一人でも多くの方に
この尊い教えをお伝えさせて頂く
決定をさせて頂ければと念願いたします。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和5年 9月度 ご法話を学んで

2023.9.1

【佼成9月号】

(朗読 MP3)



残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ空調のお世話になる
日々が続いていますが
皆さん如何お過ごしでしょうか。

8月15日のご法話は終戦記念日を期して
平和な世界の実現に向けて
一人ひとりがどのように人生を歩むことが
肝要かをお示しくださいました。

その結びに当たって
「感謝の心を分け与えていくこと、
感謝こそが徳と言ってよいのではないか。」
とのお言葉に強く共感をしました。

皆さんは会長先生のお心の
どこに共感なさったでしょうか?

それでは佼成9月号
「欲ばりは煩いのもと」
に学ばせて頂きたいと存じます。

釈尊のお言葉で
「欲望を貪り求めると、
諸々の煩悩が彼に打ち勝ち、
危ない災難が彼を踏みにじる」
から、貪るほどの欲深さが身心に
ダメージを与えるという
表現を示されました。

“彼”を“私”と置き換えると
背筋が冷たくなる思いになります。

金銭や財産に対する過剰な欲、
愛欲へのとらわれなどが
自他のねたみ、怒り、憎しみを生み、
それがもとでトラブルという
災難が降りかかるというお話を
素直に理解しようとしておりますが、
特に自分を大切にするという
今どきの世間知の気風が過ぎると、
自己都合を優先するばかりで
知らず知らずに過剰な
欲や愛欲への捉われる、という
泥沼に踏み込んでしまっていることが
一般的にもあるように感じます。

更に他者との関係が
喜ばしいものでないことは
時として孤独感に苛まれ、
心が晴れやかという身心共に
健康な状態とは正反対の人生は、
出来ることならご免こうむりたいものです。

【必要以上に貪らない
他の動物とは違って・・・】
この一言は尊い“いのち”を
感じることができる人間ではありますが、
反してその罪業の深い人間の
愚かさの一面でもあり、
満腹でも共存せず狩りつくしてしまいたい
人間の動物的衝動を教えるものと存じます。

この衝動を利他の心持ちによって
コントロールして参りたいものです。

後項「足ることを喜べる幸せ」
先の欲をコントロールが出来るなら
問題は無いのでしょうが、
制御がきかなくなるとそれは
「煩悩」となり、
自分の満足を得るために見境がなくなり
人間関係をそこなうなどの
更なる苦しみに苛まれるという状況は、
多くの方々が大なり小なり
体験しているのではないでしょうか。

この自己中心性の生き方から、
日ごろ教えて頂いている
「少欲知足」から、
更に発展して
「喜足(足ることの喜びを
味わいたくて自然に欲が抑えられる)」
心持ちへのお勧め頂きました。

この心持ちは他者からのお諭しにより、
させられている感ではなく、
自ら望んでなれる心持ちでもあります。

このような晴れやかな心境で
日々を送っていけるならば、
なってみたくはありませんか?

最後に、9月は
脇祖さま報恩会の月でもあります。
1日からはご本部からの
『開祖さまの願いにふれる宝物展』
が教会3階にて開催されます。
その先ぶれとして教会内に
両祖のお徳をイメージされた
タペストリーの展示も始まり、
奈良教会発足50周年も佳境を迎え、
12月1日までの残り3か月の期間の中で
『感謝・出会い・継承』
を確固たる信念へ昇華できるよう
皆さまと更なる精進を
お誓いして参りたいと存じます。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和5年8月度 ご法話を学んで

2023.8.1

【佼成8月号】

(朗読 MP3)



7月23日(日)には「布教推進の集い」を
ご本部から佐藤常務理事さまをお迎えし、
開祖さまのお心を学びましたが、
きっと開祖さまを間近に感じると
こんな雰囲気だったのかな
と思える機会を多くの参拝の方々と
共に過ごすことができましたこと、
佐藤常務理事さま並びに
教会其々御役の皆さんに感謝申し上げます。

9月には開祖さま、脇祖さまの
宝物展が奈良教会で開催されます。

皆さんと感じた開祖さまの
息吹を今度は直に触れて、見て、
感じて頂きたいと存じます。

暫しお持ちください。
さて、8月号佼成会長先生ご法話
「安心して生きるために」
を学ばせて頂きます。

前項
「すべての国が滅びない手だてを」
では健康とは
「病気ではない、
弱っていないというよりも、
肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態にあること」
とあり、幸福の定義とも重なる
と示してくださいました。

健康とは幸福ともいえるのでしょう。

そこから、地球規模に視点を変えてみると、
ロシアのウクライナ侵攻をはじめ
様々な諸課題が解決に至ることは未だ、
日本においても周辺国との関係や
物価上昇や人権の問題など多くの問題を
抱えたまま時間経過していることは
多くの方が感じていると思います。

更に、世界政治に目を向けると、
軍事力を背景に各国の関係は
牽制しあうことで軍事的緊張状態に
あると言っても過言ではないでしょう。

それを、ミサイルを発射するボタンに
指はかかったままで、いつ何時にでも
大きな火種になってもおかしくない
状態だとすれば、戦争には至っていない、
血は流れていないというよりも、
お互いに戦争の不安もなく、
安心して過ごしていける人生、
幸せな境涯という身心共にまた社会的にも
皆が満たされた状態であることが
地球規模の健康であり幸福であることを
多くの方も望むかたちでしょう。

だからこそ
「すべての国が滅びることのない
手だてをさぐり、
実現に努めるということ」
を私たちはその必要性を
考えることはできましょう。

後項には「自分を愛するように」
において日本の敗戦を詠んだ句から、
戦争の惨禍ににじむ悔恨、憂愁、
亡くなった方への鎮魂の思いは、
戦後生まれの私などには
計り知れないほどのことですが、
現在の状況をある人は、
新しい戦前などと表現されたことを
真剣に受け止めて為すことを
考えて参りましょう。

その思いを戦後七十八年たって
なお強く胸に迫るという
会長先生の思いと合わせて、
「地球に住むすべての人がほんとうの
意味で安心して暮らせる世界をと、
心の底から願わずにはいられません」
という仏さま、開祖さまの願いとも
通じる世界平和実現のために、
私(たち)になにが出来るだろうかと、
宗教者の連帯と協働を
目指したのがWCRPであれば、
私(たち)にできることは、
信仰による心の向上を、
社会・国家がよりよい方向に
進むよう役立てることは
出来るその最たることとして、
信仰のあるなしにかかわらず、
私(たち)の目の前にいるその方を愛し、
思いやることから始めてみましょう。

そのことが喜びになったら
隣の方に広げてみよう。

小さな一歩かもしれませんが、
その一歩が無ければ真の平和実現は
難しいことになってしまいます。

安心して皆が幸せに
暮らせることができるよう
勇気をもって踏み出してみましょう。

佐藤常務理事さまから、
御揮毫いただきました。

どうぞ関心のある方は
ご覧になって頂きたいと思います。

上記の学びにも大きな
ご示唆となっていると思います。

合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和五年 7月度 ご法話を学んで

2023.7.1

【佼成7月号】

(朗読 MP3)



6月中におかげさまで
各支部での支部大会が
無事に行うことができました。

改めてお受入れ下さいました
寺社の関係各位に対しまして
感謝申し上げます。

また、準備から実施に向けて
多くの方々のご協力を頂戴しましたことや
喜びをもって参加くださった
皆様に御礼申し上げます。

そんな中、6月17日(土)に
2代目の奈良教会長でありました
小野恵子元教会長の訃報に際し
多くのご縁ありました皆様には
ご当家のご意向を真摯に
お受けくださいましたこと
重ねて感謝いたします。

私は教会の代表として
19日の告別式に参列を
させて頂くことができました
その際の当日の様子については、
20日のミニ説法会にも
ご紹介しましたので
関心のある方はそちらをご参照ください。

この一連の出来事から、
大いなるいのちの不思議さを
感じることばかりでした。

17日は小野元教会長の
誕生日でもありました。

その翌日は支部大会の
最終実施日であり
その終了に合わせるように、
訃報が届いたのでした。

更に皆さんにご報告した
6月20日は初代竹内元教会長の
祥月ご命日という、
不思議な日程に私たちの
50周年は唯の行事ではなく、
多くの先達の精進の礎の上に
連なった意義ある時代を、
ともに過ごしていることが
できているという、
大きな安心感に包まれているような
心持にならせて頂きました。

「別れは悲しい事ではあるが
不幸ではない」
と仰って頂いていた会長先生の
お言葉が染みてくるようです。

それでは、7月佼成ご法話
「身心を養う「食」とは」
を学ばせて頂きたいと思います。

前項「四つの栄養」から
なんのために栄養を摂るのか?
と投げかけられると、
漫然と食事をしていたことに
気づかされるばかりです。

当然、生命維持のためではありますが、
仏教的な捉え方には生命維持のみではなく、
含め四つ(四食/しじき)は
【「食」とはもちろん
健康な体を保つための食べ物や
飲み物のことですが(中略)
つねに人を思いやることが
できる人間になるために、
心に良質の栄養を取り入れることが大切】
ということには、
どのような価値があるものに、
出会い、糧として、
身につけていくかを
生活の指針としていくことを
促されているように受けとめます。

後項の「何ごともバランスよく」では、
少々飛躍しますが、
先ずもって近年には
諸家庭の状況によって
十分な生活をも難しく、
有るか無いかという選択さえ
できない状況の方も潜在的に増えて
きていることも伝えられています。

有るということは
生命維持に必要な条件ですから、
誰でも感謝の念を持つことができる
大切な受けとめ方ではないでしょうか。

それを踏まえてみると、
何を食べ、何を食べないか、
と選ぶ基準は人それぞれです。

健康に良いという基準もあれば、
好き嫌いによる基準で選択できる
恵まれた環境を鑑みた時に、
どのような人間になれるかという選択も
私達は出来るのではないでしょうか。

仏さまの教えという、
最高の栄養をどのように出会い、
受けとめ、いただくことで、
あらゆるおかげさまに感謝する
人生を溌溂と歩んでいけるよと、
これまでに関わりを下さった方々に
改めて言って頂いたように
聞こえて参りました。

最後に、7月23日(日)は
支部大会のかみしめとして
開祖さまや会長先生の秘書として
長く務められた佐藤常務理事の
ご来寧のお手配をいただきました。

私たちの師である開祖さまの息吹を
ご一緒に感じてみませんか。
心よりお待ち申しております。
合 掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和5年6月度 ご法話を学んで

2023.6.1

【佼成6月号】

(朗読 MP3)





5月はG7広島サミット開催を前にして
WCRP日本委員会でのシンポジウム
(光祥さまご出席、佼成新聞に掲載)
で採択された提言文が
岸田首相に手渡されたことや、
毎年実施されている青年の日
(奈良教会は5月21日(日)に
東大寺でユニセフ募金を実施した)
等を通して平和の意味を今一度
かみ締める月でもありましたが、
直近には銃を使った事件や命の尊さを
軽んじる残念な出来事も耳目にすることが
多くありました。
.
私たちは自身には
縁遠いことと思えば関心は薄れ、
自分勝手な自己中心の生活にあることや、
家族や身近な人々との関係では不
調和を繰り返していることなどは、
身近にある平和さえも関心が
薄くなっているのではないかと
強く危惧を感じます。
.
6月号佼成「季節の風物に心を寄せて」
ご法話に私たち一人ひとりがより
良い日々を送るうえで基軸にさせて頂ける
お心を頂戴しましたので共々学ばせていただき
1か月の軌範とさせて頂きましょう。
.
前項「自然にふれて感性を磨く」
自然の営みは粛々と行われている。
.
教区長さんが感動されたという
ゲーテの言葉下線部(引用文)
なぜ私は結局もっとも好んで
自然と交わるかというに、
自然は常に正しく、誤りは
もっぱら私の方にあるからである。
.
これに反し人間と交渉すると、
彼らが誤り、私が誤り、さらに彼らが
誤るというふうに続いて行って、
決着するところがない。
.
これにひきかえ、
自然に順応することができれば、
事はすべておのずからにしてなるのである。
.
自然を受け入れる心というものを
教えて下さっているわけですが、
子供のころから地域のお祭りに
楽しみであり強制参加でもあった環境は、
自然のはたらきでもある
神仏を身近に感じる環境は
一つの要因だったと言えます。
.
また、先日のテレビインタビューに
宇宙飛行士の若田さんが
ご出演されていました。
.
その際に、宇宙から見たオーロラや
日本列島の映像を拝見したときに、
地球の美しさを改めて感じたのは
私だけでは無いと思います。
.
後半にある
《自然の営みに感動したり、
その不思議に驚いたり》
が元気に日々を
送るにとって大切であると
お教えくださいました。
.
後項「黙々と真理を実行する自然」
では「きれいだな」「不思議だな」
と感動する感性があれば
苦しみや悲しみさえ
乗り越えることができると示
してくださいました。
.
感性とは物事を心に
深く感じ取る働き。
を言うそうですが、
出会うものの大切さを
強く感じるほど、
為すべきことは他を攻め、
争うことではなく、
お互いの命を讃えあうことだと
気がつくことと仰って頂きました。
.
更に感性豊かな幼子の目線で見ると、
自然の営みに感動を覚えることが
できるとするなら、
一緒に身の回りを見
渡してみてはいかがでしょうか。
.
以前に聞きかじったことですが
〈子供時代の時間が長く感じるのは、
感動することが多いから〉
という話と共に、
若い方々と過ごす時間は、
多くの感動の種を
身近に見つけることが
できるのではないでしょうか。
.
最後に、奈良教会発足50周年記念の
取り組みの中で地域の神社仏閣の
各諸先生方のご理解とご協力を得て、
老若男女問わず一緒に神仏にお参りする
貴重な機会を頂戴しています。
.
この機会を若い方たちと一緒に
感動する大きな機縁として
【感謝・出会い・継承】
を更に深めて参りたいと存じます。
.
合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝