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まほろば 奈良教会長コラム

令和5年 9月度 ご法話を学んで

2023.9.1

【佼成9月号】

(朗読 MP3)



残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ空調のお世話になる
日々が続いていますが
皆さん如何お過ごしでしょうか。

8月15日のご法話は終戦記念日を期して
平和な世界の実現に向けて
一人ひとりがどのように人生を歩むことが
肝要かをお示しくださいました。

その結びに当たって
「感謝の心を分け与えていくこと、
感謝こそが徳と言ってよいのではないか。」
とのお言葉に強く共感をしました。

皆さんは会長先生のお心の
どこに共感なさったでしょうか?

それでは佼成9月号
「欲ばりは煩いのもと」
に学ばせて頂きたいと存じます。

釈尊のお言葉で
「欲望を貪り求めると、
諸々の煩悩が彼に打ち勝ち、
危ない災難が彼を踏みにじる」
から、貪るほどの欲深さが身心に
ダメージを与えるという
表現を示されました。

“彼”を“私”と置き換えると
背筋が冷たくなる思いになります。

金銭や財産に対する過剰な欲、
愛欲へのとらわれなどが
自他のねたみ、怒り、憎しみを生み、
それがもとでトラブルという
災難が降りかかるというお話を
素直に理解しようとしておりますが、
特に自分を大切にするという
今どきの世間知の気風が過ぎると、
自己都合を優先するばかりで
知らず知らずに過剰な
欲や愛欲への捉われる、という
泥沼に踏み込んでしまっていることが
一般的にもあるように感じます。

更に他者との関係が
喜ばしいものでないことは
時として孤独感に苛まれ、
心が晴れやかという身心共に
健康な状態とは正反対の人生は、
出来ることならご免こうむりたいものです。

【必要以上に貪らない
他の動物とは違って・・・】
この一言は尊い“いのち”を
感じることができる人間ではありますが、
反してその罪業の深い人間の
愚かさの一面でもあり、
満腹でも共存せず狩りつくしてしまいたい
人間の動物的衝動を教えるものと存じます。

この衝動を利他の心持ちによって
コントロールして参りたいものです。

後項「足ることを喜べる幸せ」
先の欲をコントロールが出来るなら
問題は無いのでしょうが、
制御がきかなくなるとそれは
「煩悩」となり、
自分の満足を得るために見境がなくなり
人間関係をそこなうなどの
更なる苦しみに苛まれるという状況は、
多くの方々が大なり小なり
体験しているのではないでしょうか。

この自己中心性の生き方から、
日ごろ教えて頂いている
「少欲知足」から、
更に発展して
「喜足(足ることの喜びを
味わいたくて自然に欲が抑えられる)」
心持ちへのお勧め頂きました。

この心持ちは他者からのお諭しにより、
させられている感ではなく、
自ら望んでなれる心持ちでもあります。

このような晴れやかな心境で
日々を送っていけるならば、
なってみたくはありませんか?

最後に、9月は
脇祖さま報恩会の月でもあります。
1日からはご本部からの
『開祖さまの願いにふれる宝物展』
が教会3階にて開催されます。
その先ぶれとして教会内に
両祖のお徳をイメージされた
タペストリーの展示も始まり、
奈良教会発足50周年も佳境を迎え、
12月1日までの残り3か月の期間の中で
『感謝・出会い・継承』
を確固たる信念へ昇華できるよう
皆さまと更なる精進を
お誓いして参りたいと存じます。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝