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まほろば 奈良教会長コラム

令和4年11月度 ご法話を学んで

2022.11.1

【佼成11月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。
令和4年度のまとめの月をお迎えしました。

また、佼成のご法話も一年をかけて
六波羅密の徳目を軸に諄々と
お教えいただくことが出来ましたことは
特に大切にさせていただきたいものです。

今月も11月号佼成
「みんなの幸せを願う心―智慧②」
に学ばせていただきたいと存じます。
特に前月号にありました
「空」についてより深めることと
なる機会でもあります。

「「空」教えを受けとめる」
の冒頭の
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに・・・」
は私自身、日々
心掛けているつもりですが、
お伝えしているなかで、
お相手の理解が
進まないように感じるときは、
先の言葉のようにできているだろうかと
省みることと共に自身の理解の浅さに
内省の毎日です。

その一つが「空」ということでしょう。
これまでも開祖さまはじめ先達から
沢山の言葉で
お示し頂いてまいりましたが、
皆さんはどのように
受け止めておられるでしょうか。

ここで、
「「空」とは「無」とは違って、
ないのではなくて、
そこに存在はするが
「性格づけ」されていない」
ことを意味するという引用から、
悩みの種は自分勝手に
「性格づけ」「色づけ」
するからであって、
そうした性格づけせずに
受け入れてしまえば、
その方が楽に生きることが
できますよという言葉は、
前月の奈良教会の実践目標に
掲げさせて頂いた
「事実を素直に受け止めよう」
という言葉と相通ずるように思います。

また、わるものといいものと
無用な差別をしているとのことですが、
逆に私達が必要な区別は出来ずに
過ごしているとするならば
今一度わが身を振り返り、
すべてのものに仏のいのちが
宿っているという心で、
何事も仏のいのちをもったものだと
拝んで参りたいものです。

「六つの慈悲のはたらき」
において先の捉え方を
「空」「寂」の大切さを意味する。

それが「智慧」ですと
お示しくださいました。

それを踏まえ
「自分の幸せを願うなら、
まず自分のまわりの人や
世の中の安穏を祈りなさい」
という日蓮聖人の願いが
我が心に感じるならば、
みんなの幸せになるための
利他の行いをせずには
いられなくなると
仰ってくださいました。

先日、我が家で初めて
コロナ陽性者が出ました。
そのことで直前の式典や
諸行事を自宅待機の為、
欠席することになり、
多くの方々にご迷惑
おかけしましたこと
深くお詫び申し上げます。

しかし、対処としての自宅待機の間、
家族がコロナ感染と戦っていることは
理解できるのですが、
多くの方々に
ご迷惑をかけているという
申し訳なさをもつ
私を逆なでするように、
感謝や謝罪の言葉もなく
待機解除の直前に
家族に不満の気持ちを
ぶつけてしまいました。

今月のお心を鑑みると、
感謝の心が薄かったのは
私自身の心持ちであったことが
如実になり、
そのことを教えてくれた
ご縁だったと思います。

最後に、今月は開祖さま生誕の月です。
いのちの尊さを説く法華経を、
人の希望をもった生き方として
お示しくださいました開祖さまへの
報恩感謝の誠を実践と共に
捧げさせて頂きたいものです。

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年10月度 ご法話を学んで

2022.10.1

【佼成10月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。

過日、安倍元首相の国葬が行われました。

其々に様々な意見があることですが
私達一人ひとりも問題とするところを
整理して考えなければ大切なことを
見過ごしてしまうのではないでしょうか。

このこと一つ取っても必要なことを
ご法話として頂戴したように思います。

今月も10月号佼成
「苦悩を生むもとを知る―智慧①」
に学ばせていただきたいと存じます。

「仏さまの智慧をいただく」
の冒頭の小学4年生の詩から、
私ごとですが学生時代の部活動の風景を
思い出しました。

陸上部に所属していましたが、
グランドは野球部が
優先という暗黙知のため、
走る場所に制約があり、
やっとできた走路も砂利の混じった土で、
その時期に新たに水はけの悪い場所に
新たな土が入っただけまし、
という時に毎日練習後は
大小様々な石ころを拾うことが
必要な日課になり最初は愚痴を
言いながら渋々でしたが、
ある日全力疾走中に
小さな小石の上に乗ってしまい
捻挫したことで大事な試合に出ることが
出来なくなったことがありました。

如何にグラウンドなどの
精一杯発揮できる場所があることに
感謝が無かったかを思い知らされたことと
重なり前半の智慧は自分のなかに、
真理を認識して判断する力は
抑々誰にも具わっていることと、
必要な出来事(縁)によって
気づかせて頂いていたことを
示してくださっていると受け止めました。

後半「執着をコントロールする」では、
執着を縁として生起(せいき)する、
を鑑みるとこれまでは執着を
無くすることに傾注していましたが、
遠ざけるということは
自身の心がけ如何によっては、
順調な日々も欲望や執着にまみれて
苦悩に喘ぐ人生となる可能性を
常に持っているということとも
言えるのではないでしょうか。

だからこそ、コツコツ努力する大切さを
先達から示して頂いてきた私たちは
【常精進】の誓いをして
参ったともいえるのでしょう。

智慧を身につけるヒント
『空(くう)』については
次月更に深めて頂けるとのことですが、
今月は
「自分勝手な思いや都合で、
価値判断したりするのはやめて、
事実を素直に受け取る」
という姿勢をお教えくださいました。

簡単なことでは無いかもしれませんが、
まずはやってみようの精神で
取り組んでみようではありませんか。

先月は3年ぶりに
奈良県宗教者フォーラムの
開催を多くの方々のご理解と
ご協力によって行うことが出来ましたこと
この場をお借りして感謝申し上げます。

ありがとうございました。
その礎は宗教協力の精神を
国の内外に示してくださった
開祖さまのおかげさまです。

そして10月は開祖さまご入寂会の月です。

この教えを伝えて下さった感謝と共に、
後のことを託された私たちひとり一人が
平和の世の中をつくる努力を
自覚と誓願として菩薩行実践の旗を
打ち立てて参りたいものです。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和4年9月度ご法話を学んで

2022.9.10

【佼成9月号】

(朗読 MP3)

日々ありがとうございます。

先日、教会長会議の席上で
白さん、藤末さんから
参議院選挙に対する
ご挨拶の中で、自身への反省と
応援してくださった会員の皆さまに
感謝の言葉をいただきました。

私たち奈良教会の皆さまと共に
政治の有様や選挙の大切さなど
其々に深めることができたことは
大きな成果であったと言えますが、
結果からも多くの学びを
得たように思います。

引き続き政治に関心を持ち、
主権者である私たち一人ひとりの
為すべきことを実行して
参りたいと存じます。

それでは、9月号佼成
「信じるものがある幸せ― 禅定」
に学ばせていただきたいと存じます。

「心が乱れるのは菩薩失格か?」
ですが、
【仏の教えを学ぶ私たちは、
慈悲の心で他を思いやり、
その実践をとおして人としての
成長をめざしています。】
と菩薩行について
示してくださいました。

その心持ちを常に
持ち続けている状態を
「禅定」というのですが、
かく言う私も皆さんの
お役に立てているのだろうかと
揺れることもあります。

そのように感じるときに
菩薩として失格のような
気持になります。

それを会長先生は、
人間である以上
動揺も迷いもしないのは
むずかしい事(中略)
新たな出会いの連続です。

その中では、ときに動揺したり、
冷静さを失ったりすることもあります。

(中略)その事実をまず、
きちんと受け止めることが大切、
心が定まらないという
現実を直視すればこそ、
価値あるものを得たい、
つかみたい気持ちによって
この教え(法)に出会ったことを
思い出させていただきました。

また、迷ったり悩んだりすること、
心が揺れ動くことは
生きている証しという言葉に
大きな安心を感じたのは
私だけではないのでしょう。

「「真理という月」を見る」
の月明かりに言及して、
真理を見ようとしない人は、
闇夜を手探りで歩むときに似て、
いつも不安や焦りや恐れを
胸にかかえて生きている
ということでしょう。
と真理の光が如何に大切なのかを
お教えくださいました。

更に、あらゆるものごとは
縁によって起こるという
根本的な真理を自分の
行動、目の前の問題と
重ねあわせる習慣を身につけ、
悩みや苦しみから解放される
安心を常に感じて参りたいものです。

その心持ちが『禅定』
というのかもしれません。

先日、ある青年が
東南アジアや北アフリカなどを
バックパックで渡航した話を
伺いました。

現地の方との出会いは
どれも貴重な出会いで、
サッカーボール一つで
仲良くなるような様子を
教えて下さいました。

その彼が、
帰国して最も感動したのは
青々とした山並みや
きれいな空の色を
目にしたときだったそうです。

それは、現地ではずっと目線より
下ばかり見ていたからだったと、
目線を上にあげることが
皆無であったようです。

理由は、家畜のフンを
踏まないためでもあり、
また身の危険から
周囲に気を張る必要から
ということでした。

しかし、私たちは
当たり前のように目線を
上にあげることができます。

山や空や月の様子を目にする
ことができるのは、
大きな安心の中にある
証拠とも言えます。

情勢不安なところ
(自身に置き換えると
“とき”とも言えましょう。)
は明るく照らす月を
目にすることは難しいですが、
それでも月は私たちを優しく照
らし続けてくれていることを
忘れずにいたいものです。

今回、月明かりのお話が
ありましたが、
私の幼少期に家から銭湯への
道すがら見上げた
大きく真ん丸で目が痛くなるほどの
月明かりの記憶を思い出しました。

明るく照らす月のように
暗い道を照らされている
今の境涯に感謝し、
誰にも見上げれば
私の行き先を照らす
月明かりがあることを、
伝えて参りたいと決定いたします。
合掌

立正佼成会奈良教会長 中村浩士拝

令和4年8月度 ご法話を学んで

2022.8.1


【佼成8月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。

ここにきてコロナ感染の再拡大にあって
身近な方々の感染や濃厚接触に
対応されている様子を見聞きされることが
多くなっているのではないでしょうか。

特に高齢者の方への感染が
重症につながる確率が高いという
一部報道もあるようですので、
お互い様に注意して感染しない行動
と共に感染していなくても感染させない
行動を率先垂範した参りましょう。

また、先月は参議院選挙にあたり
皆さんのご協力をいただき、
政治への関心を高める目標を掲げて
お取り組みと様々な検討を重ねて頂くことが
できましたこと感謝申し上げます。

選挙結果は残念な結果ではありましたが、
多くの方々が現在の状況をどのように考えて、
受け止めて国や地域のかじ取りを
託していくことが大切なのかを
深めることができとことはこれまでの
取り組みとは一線を画すことに
なったのではないでしょうか。

引き続き私たちの生活に直結する
政治に意識して精進して
参りたいと存じます。

それでは8月の佼成ご法話
『ほんとうの自分を生きる―精進②』
に学ばせていただきたいと存じます。

「人はみな球体の上の点」
ここにある一点は自身のことですが、
この一点である私の存在の尊さと
合わせてその他の存在を
忘れてはならないことを、
【太陽や水や空気を
含むすべてのものごとと、
自分以外の人によって
生かされている】
という仏教でいうと無我であり、
佼成会でいうところのおかげさまという
心の受け止め方を示してくださって
いるのではないでしょうか。

続く「天上天下唯我独尊」は
大きな全体をともに生きる絶
対的な一人ひとりとあるように、
だれもが価値ある一つの命を
共に生きる兄弟姉妹で
あることに気づかせること、
言わば精進とは真実の相のように
生かされていることに感謝して
「おかげさま」の心を
忘れないための実践だと
受け止めて参りたいものです。

「「おかげさま」をさがそう」
には前月の信仰者として
当たり前のことを当たり前に行うことを
精進と仰って頂きました。

その実践を続けるには、
普段の生活の中で
有り難いことに気づけるかが
重要と示し下さいました。

ここでは自身の不完全さに気づくことが
できるからこそ精進しようという
気概が生じるわけですが、
その精進の大切さや
価値や意味を知りえたのは、
仏法があるということが基ですが、
現実には家族や親せき、
友人や知人というサンガ(法友)
のおかげで教えを学ぶことが
できたわけです。

それは当たり前のようなこと
とも言えますが、その出会いが無ければ、
教えによって安心の人生を
歩めるようになれなかったことに
感謝が無かったように感じます。

いつもそのことに気づかせてくださるのは、
サンガの体験説法は大切な機会です。

会長先生はそれを「宝庫」と仰っています。

「苦悩から解放されたいと願って
結縁した人が、仏の教えによって、
苦しみの原因は自分の思い違いや
謝ったものの見方あったと気づかされ、
人生が一変する
―そのような体験を包み隠さず話す」

「それは生かされていることを
忘れかけていた人が

「何もかもが有り難いことばかりだった」
と気づいて感謝の生き方に転換する」

『信仰の証』
ここは私たちが精進する理由だと
言っても過言はないでしょう。

是非ともここにあるように
「生かされどおしの自分に出会う」
今月にして参りましょう。

最後に、お盆の時期に帰省やお墓参りなど
日本人として大切にされてきたことからも、
たくさんの「おかげさま」を
気付く大きな機会です。

たくさんの感謝を伝えてみることを
共々努力してみませんか。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年7月度 ご法話を学んで

2022.7.1

【佼成7月号】

(朗読 MP3)



史上最速の梅雨明けとなり、
コロナ禍の心配に重ねて
熱中症対策が必要なこの頃ですが
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

付随して急な気温上昇に
身体の調整機能も
追いつかないお子さんや
高齢者の方々は電力不足が
危惧されている最中ですが
特に適切な体調管理にお努めください。

7月の佼成ご法話
『日常を当たり前に生きる―精進①』
に学ばせていただきたいと存じます。

前項の「精進とは」で
会長先生の「
精進、精進、また精進・・・」
には進歩・向上を目指す志を
忘れないということですが、
精進の意味するところが
わからないと尻込みする人がいるかも、
という投げかけに
(ずっと努力し続けるの?休んじゃだめなの?)
なんていう声がどこからか
聞こえてきそうですが、
開祖さまおのお言葉に安心をいただきます。

「当たり前のことを当たり前に
できる人間になってほしい」

には私たちの状況に合わせた努力の継続を
「即是道場」の姿勢として
お示しくださっているのではないでしょうか。

仏の教えを「身で読む」ことは、
実生活にある人や出来事との出会いの中に
どれだけ仏さまのような心(仏性)を
感じまた発揮をさせていただけたかがが
大切な視点となるのでしょう。

後項の「悟りと精進は一つ」の
冒頭に釈尊が自ら求められて
善行を積まれた説話ですが、
そのポイントは困っている人が喜んで
くれることにお役に立てることこそが、
幸い(幸福)であることだと拝察します。

幸せになりたいから善行を積む
というという交換意識ではなく、
そのもの(こと)が幸いである
という一体の喜びと受け止めます。

それを
『利他行によって心を磨くところに幸せがあり、
それを続けることこそが精進である』
とお示しくださいました。

「修証一等(しゅしょういっとう)」
(修行と悟りは一つ)というそうです。

しかし、信仰者としての「当たり前」を
大切なことだと認識はすれども、
「当たり前のこと」がなかなか思い通りに
できない私たちでもあります。

ただ、そのままに甘んじない心でしょうか。
「これではいけない」
と反省に至る怠け心を精進する心に
リセットすること事態がどうやら
幸せのコツのようです。

このご法の縁に恵まれた私たちは少なからず、
教えやサンガや仏さまのおかげさまで、
救われた(助かった・喜んだ・安心したなど)
という何かしら体験をお持ちでしょう。

合わせてそんな時は、
自身と同じく救われていただきたいと、
仏の教えのとおりに生きようと発心した時の
混じりけの無い向上心を感じたことを
思い出すのではないでしょうか。

その実感こそが
「このように生きようと誓う大切な
志(こころざし)」なのでしょう。

今月の実践目標に
【当たり前のことを当たり前にできる
人間になろう~三つの実践~】
とさせていただきました。

志をいつでも実感できるように
《あいさつ・返事・整理整頓》
の三つを実践して参りましょう。

現在参議院選挙の最中ですが、
今一度ご自身の意思を顕すためにも
国民の権利である投票をお願いします。

また、皆さんのご縁の方々にも漏れる
ことなくお声がけを忘れずにお願いします。

今月で今年度も半期を過ぎました。
前半を振り返りしっかり
取り組めたことは喜びとして、
失敗や反省することがあれば活かして
後半時の精進にして参りましょう。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年6月度 ご法話を学んで

2022.6.1

【佼成6月号】

(朗読 MP3)

令和4年6月度 ご法話を学んで



コロナ禍になってはじめて
制約の無いGWをどのように
お過ごしになられたでしょうか?

壮年部が中心となって
アフリカ毛布に多くの方々に
参画頂いたことと共に、
今年次の青年の日
《5月15日(日)》は
約3年ぶりに東大寺南大門前にて
一食ユニセフ募金をコロナ対策に
注意しながらのお声掛けでしたが、
参加のお一人おひとりが精一杯に
平和のために発した一言は
多くの方々の優しい心に
届いたことと存じます。

東大寺の皆さまはじめ
ご参拝の方々のお心とご浄財を尊くも
お預かりさせていただきましたことと、
奈良教会青年部が中心となって
各支部のご協力を得て行動に
顕すことができましたこと
厚く御礼申し上げます。

6月の佼成ご法話を皆さまと
かみしめて参ります。

前月の結びにありました
「忍辱が菩薩の精進である以上、
忍辱には慈悲のはたらきとして
利他の側面があることも
忘れてはならない」
とありましたことを
より深めて頂いていると
受け止めさせていただきました。

『最高の忍辱』では良寛さんの歌から、
人の言葉や態度を見て、
自分はどうであったかと省みるとは、
人がそのように自分を評するのには、
自分にそう思わせる何かが
あるのではないかと振り返ることが
忍辱の実践とお示し下さいました。

更に、自身を害する状況であっても
お相手の心配を自然になせる、言わば、
受け入れる気持ちが起きることが
「忍辱」とお教えくださいました。

ここで、開祖さまの十功徳品のご解説から
「なんとかしてあのまちがった心を
直してあげたい―という
慈悲の心が起こってくる」
これを『最高の忍辱』と
ご紹介下さいました。

その前段にある
「教えを聞いて自他一体感が深まり、
ものごとを客観視する習慣がつくと」
とあります。そのことが、
後半にお示しくださっているようです。

『心を少し教えに向けて』
ここでいうところの功徳について、
「つらく悲しい体験によってわかること、
気づくことの一つ一つで、
受け入れがたい事もしっかりと
見据えて受け入れ、認めることで
心の器が少しずつ広がって、より柔軟に
ものごとを受け止められるようになる。

また、自身の思い違いや自己中心性に
気づくことで、生きながらに生まれ変わる
大きなチャンスにもなることも
功徳とお教えくださいました。」

私たちは「すべては自分」
という心持ちを永く
ご指導いただいてきましたが、
ここでは、自己を振り返り、
その時その場でほんの少し心を
仏の教えに向けるだけでも、
柔和忍辱の心を身につけることができる。

なぜかと言えば、私たちには本来、
仏性が具わっているからとありましたが、
最後にクモの糸の歌がありますが、
ちょうど昨夜からの大雨で
いつも私が出入りしている
教会の勝手口に張っていた
クモの巣が無くなっているのでした。

私たちと同じように奈良教会を
大事なところ(住処)に選んでくれた
仲間だと思うとクモの安否を
心配している自身に
微笑ましく感じました。

目の前に顕れてくれた存在を
素直にそのまま受け入れてみると、
ご法話のように自他一体の
心持ちを感じることが
できるのではないでしょうか。

6月は年次の折り返し地点でもあります、
コロナの状況も少しずつですが変化を
感じるとこに来たようです。

だからこそ日がな一日のなかで出会う
すべてのものごとを、受け入れてみる
忍辱の心に触れてみようではありませんか。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年5月度 ご法話を学んで

2022.5.1

【佼成5月号】

(朗読 MP3)

令和4年5月度 ご法話を学んで



 

5月は奈良教会としても、
平和活動に重点を置いた精進に
取り組ませて頂いております。

アフリカ毛布、ユニセフ募金、
政治学習会や平和学習会などを
通して世界の状況や、
日本国内における諸課題について
論議を重ねて参りました。

ぜひとも皆さまにおかれましては、
積極的に学びの機会に触れて頂き
より教えに則した過ごし方を
深めて頂けたらと存じます。

今月は、『我慢しない―忍辱』から
忍辱とは我慢をすることと
理解しがちなところを
きっかけに学ばせて頂きたいものです。

耐える力が具わっている・・・
まずは会長先生が毎月ご命日ごとに
お出まし頂いていることや、
佼成誌にご法話を賜ることに
如何に感謝が無かったかを
思い知らされます。

苦手なことから
逃げ出したい気持ちが
ありながらも
私たち会員のためにと
立ち続けて下さっていることは、
私自身にも逃げたい衝動に
駆られることは
何度もあるわけですが、
皆さんも実際に逃げ回っている
ばかりもできないことは、
大なり小なり体験させて
頂いていることと存じます。

そのことは、積み重ねのおかげで、
苦手が得手になるわけではありませんが、
苦手に向き合ったことは
意味があることであったと
年とともに理解できていくのでしょう。

見方によっては嫌な事や辛い事も、
それに耐えて受け入れることに
よって生きる支えにする力が
具わっていると
示してくださいました。

その力を発揮したいものです。

無量義経の一説から、
「起こさしめ」
は無理に怒りを抑えなさい、
我慢しなさいと
示されているのではない。

それは自然に耐える気持ちが
「起こさしめられる」
について忍辱は決して
我慢を強いる教えではないと
喝破下さいました。

このことだけでも忘れずに
いたいものです。

「忍」は「認」に通ずる・・・
忍辱は
「受け入れて認めることを
前提にしている」
という文章から、
まずは目の前の人やできごとを
受け入れて認めることが
忍辱を自然に実践する日常に
つながるとあります。

私も前提について調べていましたら、
法華経以外の様々なお経の中にも
忍辱について示された
ワードがありました。

受け入れる「受容」
大地のようにすべてを
受け入れることと同じくや、
私と他人をありのまま
認める心の姿勢など、
とありました。

中でも大切なポイントは
仏性礼拝それを行法としている
私たちは、お相手の個性を
受け入れる心があることを
教えて頂いているわけです。

更に受け入れて認めることは、
自分をも楽にするそうです。

認めてしまえばつらい、
苦しいという思いも軽減されます。

ゼロにはならないことは
実生活に即した受け止め方に
感じます。

また、私が出会った文章には、
(過去に比べて数百倍もの
速くて広い、時や空間を
知るようになったことで、
過度な競争に苦しみ徐々に
他人と疏外されていく現代人は
物質的・精神的・環境的対象に
よって心が動かされながら生きていく。

しかし、これを受け入れて
認める練習をすることが
できていると、次の段階で
耐えるのが少しは
易しくなるであろう。)

とありました。
このことは現代に生きる
私たちにこそ大切にすることで
日々を安心して過ごしていける
のではないかと思います。

(自他ともに凡夫(ただびと)
であり、賢さも愚かさも
持ち合わせていることを認める)

とありますが、
これも忘れずいつも心に
持っておきたい心の姿勢です。
最後に、忍辱が菩薩の精進に
列していることを踏まえますと
利他の側面を忘れないことが、
自分だけが損をしている、
だれも理解してくれないなどの
孤独の中にいる苦しみから
脱却できることは
言わずもがなと思います。合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年4月度 ご法話を学んで

2022.4.1

【佼成4月号】

(朗読 MP3)

令和四年四月度 ご法話を学んで



昨今の世界情勢に加え、
東北地域での大きな地震によって
お亡くなりになられた方や
被害にあわれた方々の
一日も早い復興を願っています。

今月は、
『各自の感謝のしるし―持戒』
から新年度を迎える心構えを
学ばせて頂きたいと存じます。

「おかげさま」への感謝が基本・・・
私たちはありとあらゆるものごとの
「おかげさま」によって生かされている。
と教えて頂いて参りました。

しかし、自身に目を向けてみるとその
「おかげさま」に対して
感謝の心をもっているかと
問われると自信のない返事を
することもあります。

その中でも、六波羅蜜の実践徳目の
一つ「持戒」によって積極的に
感謝することができるよ。
とお示し頂いたものと存じます。

キーワードは
「良い習慣を身につける」
ことから感謝のしるしとして、
周囲に安らぎを与える行動と
なると思います。

因みに、在家仏教徒の戒めに

「五戒(不殺生、不偸盗、
不邪淫、不妄語、不飲酒)」

は窮屈な禁止事項のように
捉えられがちな生き方というより、
みんなが和やかに楽しくすごせるような
習慣を身につけることは、
必然的に、まわりに迷惑をかけたり、
人を傷つけたりしないような
生き方となり、あらゆる命を尊び、
生かし、みんなが楽しく
生きることになるのでしょう。

めいめいが「自分の持戒」を・・・
オーダーメイドの「良い習慣」について、
開祖さまの習慣として時間の殺生を
しないことや、心の余裕の無さを確認する
一呼吸を入れることによって怒りに
心が支配されることが少なくなる。

などの、自身に応じた良い習慣にも
視点を合わせてみたいものです。

私において習慣化できているものとして、
ご供養を外せません。

若い時から出来ていたわけではなく、
多くの方々や出来事の言わば
「おかげさま」で形になったようです。

ある批評家の言葉に、
「習慣とは、無意識で無自覚わざわざ
見つけ出そうとしたり、
信じようとしたりしなくていいもの」
というものがありました。

日々に、呼吸をするように、朝目覚めて
洗面をするように、人と出会えば挨拶を
交わすように、ゴミが落ちていれば
何事もなく拾って捨てるように、
など私たちの生活に他を喜ばす、
または自身の心を満たす良い習慣をもつ
人生を歩みたいものです。

「雪根開き」について、雪国出身の私も
現象は目の当たりにしていましたが
名称は存じ上げませんでした。

春の息吹を感じる現象は、
俳句の春の季語だそうです。

ご法話の最後にある、自然の摂理に
沿った処し方を身につけている
私たちである、しるしとして和やかな
春の訪れを心待ちにしている情景と
ともに、四季を愛でる日本人の
文化や伝統を感じます。

余談になりますが、
春を迎えることを掘り下げて見た時に、
日蓮聖人のお手紙の中に、
心が温かく感じる内容が
ありましたのでご紹介します。

《「法華経」を信ずる人は、
冬のようなものです。
冬は必ず春となります。
冬が秋に逆戻りしたことを、
昔からいまだに聞いたことも、
見たこともありません。
(妙一尼御前御消息 抜粋)》

これは、妙一尼という武士の
妻に対する手紙の一文ですが、
領地没収され夫を亡くし病気の息子と
娘を抱えつつ零落した身でありながら
師の日蓮聖人を案じ続ける尼の厚情に、
感謝と夫に先立たれた尼の
悲しみを思いやり、励ましの言葉
としてお送りになったわけです。

今一度、周りを見渡すとロシアの
ウクライナ侵攻をはじめ、
未だ終息をみないコロナ感染症や、
続いている東北の地震被害、
身近に目を向けても様々な悩みや
悲しみに打ち震えている人々に、
仏さまの慈悲に包まれている
安心の日々に一日でも早く
お入り頂きたいという願いを

「冬は必ず春になる」

という前向きで希望に溢れた新年度を
皆さんと共に一歩を踏み出して
参りたいものです。合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年3月度 ご法話を学んで

2022.3.1

【佼成3月号】

(朗読 MP3)

令和4年3月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。

冬季オリンピックも
選手たちのパフォーマンスに、
努力の成果が発揮される様子や
失敗しても挑戦する心を
お互いに称える姿などを拝見し、
気持ちが暗くなりがちな中でも、
今一歩踏み出していこうと思える元気や
勇気をもらえたのではないでしょうか。

そんな平和の祭典もつかの間、
ロシアのウクライナ侵攻という
とても残念な事態を目の当たりにし、
今こそ佼成会員として会員綱領にある
「人格完成・世界平和」
を真剣に考え、取り組み、
目指して参りたいものと強く感じます。

今月の佼成3月号ご法話
「福田に種をまく 布施③」
に学ばせて頂きたいと存じます。

「「慈濟基金会」の話」から過去
に庭野平和賞も受賞された
證嚴法師が設立されたNGOで、
私たちと同じく法華経の教えに基づいて
様々なボランティア活動を
されている団体です。

そのご縁あって
「援助を必要とする人がいるからこそ、
奉仕する機会をいただくことができる」
という精神に感銘をされたそうです。

本会の
「一食(いちじき)を捧げる運動」
にも通ずる精神、
それは
【ボランティアへの参加や
献金を通して慈悲の心を育み、
そのことへの感謝と喜びが活動を
支えていることがすばらしい】
と仰って下さっているように、
他者への貢献やお役立ちが自身の心の
成長となることを喜べることと合わせて
證嚴法師の言葉にある

「毎日、五毛を筒に入れるたびに、
人を救済する気持ちを
もってほしい・・・」

には、布施、とりわけ財施を
考えるうえで大切なことを
教えて下さっている、
私は小さくてもコツコツとする継続や
地道な積み重ねの意味を
深めていただいたように思います。

「「福徳」が生じる教団に」
にも、先のことをまとめて、
①人のお役に立つことが
自分の幸せであること。

②会員が理解し
心から喜びで布施されること。

③浄財が日々の生活の中で
コツコツ蓄えられたこと。

は前号(佼成2月号)にあった
生きがいになるの意味でもあって、
布施によって自利利他一体を感じ、
人間としてもっとも大きい幸せを
実感することができるのでしょう。

ここで私が感じたことは、
この世に生まれて良かった。

必要があっての、このいのちで
あることの実感を強くしました。

それを、
【安楽】それは、
心が喜びでいっぱいになり、
安らかな気持ちが得られる功徳をいう
とお示しくださいました。

そのことを感じれば、
おのずから布施をさせていただこう
という気持ちになるにも、
何にも感謝の心が大切であろうと
思います。

だからこそ、この機に際して、
これまでの自身や自身の
置かれている状況を振り返り、
驕りや独善、無駄は無いか?

救いを求めている声に耳を
傾けることはできているのか?

教えによって救われた実感を
持っているのか?

を今一度見直し創立の月に心新たに
精進のお誓いができるように
取り組んで参りたいと存じます。

最後に、世界情勢の
不安定さを露呈している中で、
国においてはその後3年または
6年を左右する参議院選挙が
7月に予定されています。

地域の関係性もコロナ対応に
行政もパンク状態であり、
民間も多くの方々が対応に
苦慮されているようです。

家庭でも在宅勤務や自粛要請に
様々な不安や苦しみを感じて
おられる方がおられます。

すべては一つと教えて
頂いているように、
つながっていることを
知っている私たちだからこそ、
家庭、社会、国家、平和世界を
目指して目の前の苦しみに手を
差し伸べていく精進をして
まいりましょう。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和四年二月度 ご法話を学んで

2022.2.1

令和四年二月度 ご法話を学んで

【佼成2月号】

(朗読 MP3)

令和四年二月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
寒修行お疲れ様でした。
皆さまは寒修行をどのように
お取り組みになられたでしょうか?

満願成就できましたか?
または、ご自分の目標には
物足りない結果でしたでしょうか?

その中でも、それぞれに努力を
実感されたのでしたら幸いなことです。
さて2月の佼成ご法話『お金を貯める。
お金を使う―布施②』から皆さんと
共に学ばせて頂きたいと存じます。

前項「布施は慈悲心のあらわれ」にて、
2月は仏教三大行事のひとつ
涅槃会ですが、
お弟子に託された言葉から、
釈尊はただただ人びとの幸せを
願われているお心と、
それを裏付ける成道以後の布教伝道
(悟りを得られて以降)
は利他(人々の救済の為に尽くすこと)
に生きることは釈尊の布施の実践と
お示しくださいました。

それは、思いやりや慈しみという
目に見えない“心”を
目に見える布施(法施・財施・身施)
という“行為、行動”として顕された。

言わば、“具現化”されたことで、
私たちにも理解ができているのだと
思います。

その中で、財施について本来の意味を
誤解しているところがあるようです
という点からを
更に深めて参りましょう。
後項の「蓄財も仏行?」で仏教学者の
中村元先生の言葉を引かれ、
禁欲的に思われがちな仏教の世界でも、
利益追求や蓄財は慎むことではなく、
生きがいにつながり積極的な生き方は
評価されるそうです。

それこそ、お金を使う人の
心次第ということを、仏教では、
もの惜しみの心を捨てて
わかちあう大切さ
「財を得て多くの人々のために恵む人」
が称賛され、
それを【布き施す(しきほどこす)】
広く行き渡らせることで
財が生きることこそが、
本来の「布施」の意味だと仰っています。

更に、「経済」という言葉は
「経世済民(世を経め民を済う)」
に由来していますから、
経済の基本は貧しい人や
苦しむ人などとわかちあうこととも言え、
ルールに則った正しい働きであることは
前提のことなのでしょう。

ちなみに今年は参議院選挙がありますが
先のことからも尊い国民の税金を
活きたお金として活用して頂けることも
期待しているのは
私だけではないでしょう。

現在、日本のみならず
世界で起こっている危機や問題によって
人間の活動の見直しが
求められています。

そのカギこそが「利他主義」だとすれば
私たちにとって日ごろ教えて頂いている
菩薩としての生き方であり、
他者とわかちあう利他の精神の
必要性を理解しているわけであり、
国や企業や様々な組織に
利他的に連携して、
明るい未来を築こうとする考えは,
すべてのものは根源的に
一体であるという
『自他一如』と重なります。

私たちの周りの出来事も、
世界で起こっている問題も
一体だと受け取ると、
まず私から周りの出来事に対し
利他主義の実践を
心がけて参りたいと存じます。

その中で、皆さんの尊い布施を
お預かりしている教会としても、
何に重きを置くのか、
何を優先すべきなのかを、
問うてくださっています。

最後の問いに対して、
令和4年次の奈良教会の実践目標は
【法(教え)の実践で
斉家を目指す人財育成と
即是道場の精進】
とさせて頂いています。

特に斉家を目指すうえで大切なことは、
《教えの生活化》です。

会長先生は年頭ご法話で現実に
家庭を斉えるには
「ご宝前を中心にした生活」と
「三つの実践」
(家庭で朝のあいさつをする。
人から呼ばれたら「ハイ」
とハッキリ返事をする。
履物を脱いだらそろえる。)
が重要と教えてくださいました。

更に即是道場とは、その実践をいつでも
どこでも、どんなときでもチャレンジ
していこうとする気概を
持ち続けることを精進として
参りたいものです。
合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

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