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まほろば 奈良教会長コラム

令和四年一月度 ご法話を学んで

2022.1.1

★佼成1月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成1月号】

(朗読 MP3)

令和四年一月度 ご法話を学んで



新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりましたことと
共に元気に新たな年を迎えさせて
頂きましたこと重ねて感謝申し上げます。

昨年次は、コロナ感染拡大によって
何度も自粛を余儀なくされる機会が多く、
対応に苦慮した一年でありました。

その中、自粛生活が続くことで
思考が他者に向かず、どんどん、
思考も行動も自分さえよければ
それで良いという状態に陥りやすいとも
いえるのでしょうか。

しかし、ご本部、教会からの動画配信や
SNSを活用した法座や教育、
会議などオンラインでの面会に
挑戦のおかげさまでご法から
断絶することを多くの方々が
回避できたのではないでしょうか。

さらに、オンラインの先に本来から
大切にしてきたリアルの面会が
できている意味や価値を
尊いものであったと
再認識することができたのは
私だけではないでしょう。

活用が価値あることと知った私たちは、
令和4年次ついては、更に工夫を加えて
一人でも多くの方に法縁が広まりますよう
誓願して参りたいものです。

さて、毎月の佼成ご法話で法華三部経の
一説から深めて頂いて参りましたが、
1月からは化他行の六波羅蜜から、
布施についてお示しくださいました。

冒頭に、一年の心構えともいえる、
「コロナ禍で学んだことを活かして、
心休まる家庭とあたたかな地域社会を
つくる菩薩として急がず休まず、
精進を重ねて参りましょう。」
と受け止めさせて頂きました。

続いて、伝教大師と弘法大師のお話から、
仏の教えを学ぶ私たちにとって
大切なこととして
「利他(他の人を利益する)」
であり、釈尊の修行のきっかけも
「生死輪廻に苦しんでいるのを見て、
これを救済するため」
であったわけですから、そのために、
地位も財産もなげうたれその身を
すべての人を救う智慧(悟り)を
求めることに捧げられたお心が
「利他」であり、その実践によって、
私たちの手に仏さまの教えが
届けられていることは、きっと大切に
するべき受け止め方があるのでしょう。

後半には、先にも書きましたように
閉塞的な社会状況に自己中心な
思考から脱出できない方もある一方、
逆に「利他」の実践の大切さを
感じられてボランティア活動をはじめ、
応援消費、クラウドファンディングなどで
人のために自分の持っているものを
使う喜びや達成感や生きがいを覚える人が
増えているそうですが、
それだけ人の心が広く、
豊かになってきたことが、
コロナ禍が原因であるならば、
助け合う心を磨かれたことは
「コロナ果」という会長先生の表現は
因果のとおりと受けとめさせて頂きました。

仏教でいう布施から見てみると
社会貢献や支援や奉仕という
ワードで考えると誰にでも
親しみやすい取り組みが
利他や布施ととらえることができそうです。

更に、道元禅師の
「布施は不貪(ふとん)」なり」
には、気を付けるだけでできる
布施(貪らないこと)として、
ものを購入する際には、
本当に我が家に必要なものなのか?
を一呼吸して冷静になって
自らに聞いてみることで、
必要な人にものが届くという
考え方もあると思います。

他の必要な人の立場に立ってみることは、
コロナ禍だからこそ一層
大切にして参りたいものです。

人とは出会いにくいですが、
ものを介して人を思いやる私を
発現してもよろしいのではと思います。

それが、佼成の結びに示されている
心の布施を実感することと合わせて、
自身の欲への執着と財施の関係が
見えるきっかけになるのではないでしょうか。

最後に、3年目を迎えるコロナ禍ですが、
令和4年次は、奈良教会として
発足49周年であり、大きな節目となる
50周年を会員の皆さまと感謝で
有り難くお迎えするために、
重要な準備の一年となります。

おひとりお一人が開祖さま、会長先生
そして光祥さまとのご縁に感謝して
50周年をお迎えできるように
即是道場の精進を改めて決定して参ります。

皆さまにおかれましては、
お身体ご自愛の上よいお年をお迎え
頂きますよう祈念申し上げます。
合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士九拝

令和三年十二月度 ご法話を学んで

2021.12.1

★佼成12月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成12月号】

(朗読 MP3)

令和三年十二月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
おかげさまで、令和3年次においての
精進の一年を皆さまと歩むことが
できましたこと感謝申し上げます。

令和4年次は49年目の
奈良教会発足記念でもあり、
令和5年には、大きな節目である
教会発足50周年を迎える
準備の一年の始まりとなります。

そんな、意義ある一年を迎えるに
あたり心をひとつにして皆さんと
取り組んで参りたいと存じます。

今年最後の佼成ご法話
『心の声に耳を澄まそう』
は実践目標としても
心して参りたいと存じます。

11月ご法話では懴悔(さんげ)の
必要性について学びましたが、
今月は懴悔の捉え方を
深めて参りたいものです。

サンゲ経の一説から、どんなときでも
反省や懴悔を忘れなければ、
さらさらと流れる水のような、
自在にして清々しい生き方ができる。

〈この世のさまざまなできごとに
とらわれず精神が自由自在に
過ごすことができる。〉
と教えて下さっています。

そのために目指すところは、
「諸法の実相を深く思念すること」
妄想や執着を離れて、
ものごとのほんとうの
相(すがた)を観なさい、
と仰って頂きましたことに
視点を合わせてみましょう。

会長先生がつねに傍らに
お持ちになっておられる年表ですが、
宇宙、地球、生命の歴史の
重なりを感じることが
できるものなのでしょうか。

ものごとに考えあぐねられたときに
視野を一気に広げ気持ちを
楽にしてくれるのはきっと、
自分の置かれたところや
意味を感じることで気持ちを
楽にしてくださっているのではと
拝察します。

私たちも、どうにもならない状況下
であっても自分の置かれたところの
意味や必要性を感じることが
できればその状況を越えて
いけるのではないでしょうか。

そのことを、仏さまの教えでは、
実相をかみしめる(自己を省みる)
と教えて下さっているのだと
受け止めました。

 

後半の
「法華経、そして佼成会の真精神」
では、宗教的な反省や懴悔と
一般的な反省はそれと違いは
あれども、本質的には同じ
ということは、自身のより良く
なろうという心持ちは
どちらも尊いことである。

しかし、宗教的な反省や懴悔は、
克己心(自身の欲望や邪念を制し
目標に向かって邁進する強い心持ち)
や忍耐の強さによって、
心に呼びかける内なる仏の声を
受け止めることができるのでしょう。

その声はおのずと本来持っている、
明るく、優しく、温かい行動や言動と
なって出会う人や物事に安らぎを
与えることになるのだと思います。

それを、会長先生は一言
「あとは、実践あるのみです。」
と喝破されました。

また、そのお手本として、
常不軽菩薩の姿であり、
開祖さまが率先しておられた
合掌礼拝は、
「懴悔という悟りを身で示す、
最も身近な実践」から、
【まず人さま】
の大切さを深めると共に、
そのような心や気持ちが
自身に具わっている実感を
持たせて頂けることが
如何に幸せな事であるかを
如実にお示しくださっているものと
受けとめさせて頂きました。

最後に、コロナ禍での精進を
余儀なくされている中でも、
皆さんが会長先生のご指導を
しっかりと受け止められて、
即是道場の修行を一心に
取り組まれているおかげさまで、
教えの尊さや教えによって
救われることが脈々と
広がっていると言えます。

コロナは多くの制約を
私たちに課しましたが、
そのことを受け止めることが
できた時には、無常、無我の
真理に触れ、大いなるいのちの
あらわれを感じ、おかげさまと
感謝の念を深められたことでしょう。

未だ終息には到りませんが
一年の精進誠に
ありがとうございました。

また、善い年をお迎え頂けるよう
祈念しております。

大安心の心で皆さんと共に
あらためて寂光土建設に
向って歩んで参りたいと存じます。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年十一月度 ご法話を学んで

2021.11.1

★佼成11月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成11月号】

(朗読 MP3)

令和三年十一月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
コロナ新規感染者数が
下げ止まりの状況がつづき、
徐々にですが
人出の賑わいを感じるのは
私だけでしょうか。

その中でも不安感をお持ちの方や、
希望を感じる方と様々な感情を
抱えておられる方がいることを
忘れてはならないと思います。

私たちは引き続き注意するべき
行動に配慮してまいりましょう。

早速、今月の佼成ご法話
『なぜ、反省が必要なのか』
を学ばせて頂きたいと存じます。

人間には
「少しでも高く、尊く、
大いなる存在に向おうとする本能」
が備わっているので、神仏を仰ぎ、
敬う心が生まれることと、
その高みをめざすがゆえに、
現状とのギャップに気づきを
得ることから、省み恥じる心が
生じるとお示しいただきました。

《恥じる心》という言葉を伺い、
昔、心をチクリと刺す痛さを
感じることと言って
いただいたことを思い出しました。

様々な表現があるかと思いますが、
違和感のようにスッキリしない
気持ちなどもそれに似た
感覚なのかもしれません。

その感覚をもてることが、
理想とする存在や人間向上を
めざしているともいえるのでは
ないでしょうか。

それを
「反省や懴悔は向上を求める
前向きな意思のあらわれ」
とお教えくださっていると思います。

そのことについて、
仏説観普賢菩薩行法経
(以下・観普賢経)にあるように、
反省も懴悔も、仏性の
はたらきによる向上の証(あかし)、
菩薩の証明であって、反省、
懴悔ができること自体が、尊く、
有り難いことと受け止めさせて
頂きました。

後半では、反省と向上は一つであるが、
何度も失敗や後悔を
繰り返すことからの脱出とともに、
失敗や後悔を恐れて二の足を踏んで
進めないような窮屈さは、
息苦しくなりとらわれすぎると、
思うようにできない自分や人を
責めることになる可能性も
お示しいただきました。

そこで、観普賢経には、
「煩悩をすっかり断ち切って
いなくても、けっして煩悩に
溺れないこと。菩薩の行いは
それが大切です。」
とあり、それを、開祖さまは、

「自分が弱くて間違いやすい
人間であることを思い知ったら、
新たな決定(けつじょう)を
し直せばいいのです。
今年だめだったら、
来年は必ず決心すればいい」
と心の置きどころを
お教えくださいました。

いいところも悪いところも含めて
さらけだすと、心が洗われます。

これを私なりに言い直すと、
“心の洗濯”とでも言いましょうか、
そうして再始動すればいいのです。

同じ繰り返すのであればこの、
心の洗濯を繰り返して
参りたいものです。

この繰り返しが、
人間的な成長となるのでしょう。

最後に
「若し懴悔せんと欲せば、
端坐して実相を思え」
の《端坐:たんざ》について、
辞書では姿勢を正して
すわることとあります。

またその前文は、自分の業障を
完全にとりのぞこうとおもうならば、
とありますから、
反省、懴悔したら 身心をととのえて
正しく生きようと懸命に即是道場の
精進に徹することだと、
受け止めさせていただきました。

11月は令和3年度の
最終月ですから、
どのような一年であったかを省み、
どのような心持ちで
あったかによって、
次年度の因縁が変わる
重要な時間です。

中には現在も光明を見出せず希望を
感じることができない状況に
ある方もいるかもしれません。

しかし、反省、懴悔によって自身の
努力による功徳がきっと
見いだせるものと信じています

ぜひとも開祖さまの生誕会を機に、
報恩の感謝を顕すことができるよう、
サンガとともに修行精進させて
頂きたいと存じます。

今月もどうぞよろしくお願いします。
合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年十月度 ご法話を学んで

2021.10.1

★佼成10月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成10月号】

(朗読 MP3)

令和三年十月度 ご法話を学んで

日々ありがとうございます。
九月いっぱいをもって
全国的に緊急事態宣言などが
解除と各種報道にありますが、
このことに不安が広がると感じる方や、
安心をお持ちになる方など、
皆さまはどのようなお考えや
感想をお持ちのことでしょうか。

どちらにしても
《いのちを守る》
ことについては誰もが大切にして、
忘れてはならないことと
心に刻んで参りたいものです。

それでは今月の佼成十月号
会長先生ご法話『原点に帰ろう』に
今月の精進を学ばせて
頂きたいと存じます。

前項の
「十よりかえるもとのその一」で、
千利休の道歌に、《おさらい》から、
また一歩教えの真意に近づくために
大切なことをご教示頂きました。

信仰のご縁をいただいてから
様々なご縁に導かれて、
教えの尊さや有り難さを
掴むことができたわけですが、
状況によって慣れや義務感などが
強くなってしまうと、
不足不満が高じて、
【自己を磨く】という信仰本来の
目的を見失うこともあります。

だからこそ今一度、
自身の求道による精進と
合わせてまた一歩更に一歩と、
これまで善導してくださった
様々なおかげさまで今があることを
《おさらい》私は苦しんでいる人に
寄り添い(救う)お力になることに
よって最初では気が
付かなかったことに気づかされ、
自身の精進の深まりをより
感じることができることを
お示しいただいたように存じます。

更に、普賢菩薩勧発品にも、
法華経全体を総括する内容に、
原点に帰る大切さが
教えられているようです。

そこで「四法成就」を
心においた精進こそが
【仏の道を信じて歩む私たちの基本原点】
だとお教えくださいました。

続いて「道心と童心」では、
「勧発(かんほつ)」
を二つの視点から、
原点に帰って学びを深めていく
大切さを深めて下さいました。

一つは「恋法(れんぽう)」
ただ一筋に純真に法を求める意味で、
人を恋するように道を求める気持ちが
原動力となるとお示しくださいました。

生きるためには
利害や打算も無視できず、
精進がおろそかに
なることもやむを得ないが、
その状況に屈せずにみんなと
一緒にいい社会をつくり、
ともに幸せになりたいという、
純粋な願いを忘れなければ、
いつでも発心した原点に
帰することができると
「童心」の心持ちを教えて頂きました。

もう一つは、「勧(すすめる)」に
励まして気持ちを
奮い立たせるという意味から、
仏の教えを実践する人が仏から
「善哉(ぜんざい)」とほめられたり、
頭をなでられたりするように、
精進はコツコツと
息の長い積み重ねも大切ですが、
その一つひとつを新鮮な気持ちで
取り組めていることを、
いつでもあたたかく見守り、
励ましてくださると
お教えくださいました。

最後には、原点に帰れば、
ご供養も法座もサンガとの出会いも、
感動を新たにする喜びの場であると
気づくのです。
とご教示頂きました。

このことから、純粋な気持ち
「童心」を感じる日々を過ごすことを、
仏さまもご自身のことのように
喜んでくださるのだと受け止めると、
様々な事象で努力を
要することが常であっても、
勇気や希望をもって一歩を踏みだせる
活力になるのではないでしょうか。

今月は地域状況に応じてですが、
現在の最少人数での護持体制を
徐々に緩和しつつ、
可能な限り少しでも信仰の
本来の目的である自己の心磨きを
していただける体制を目指して参ります。

今月は開祖さま入寂会の月です。
わたくしたち開祖さまの
弟子としての因縁をかみしめることも
原点に帰ることになると思います。

師から託された
私の行を溌溂としている姿を、
きっと開祖さまも我がことのように
喜んでくださることでしょう。

それを期して自身の精進の決定と
共に平和な社会を目指して
力の発揮を誓願して参りたいと存じます。

今月もどうぞよろしくお願いします。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年九月度 ご法話を学んで

2021.9.5

★佼成9月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成9月号】

(朗読 MP3)

 

令和三年九月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
過去最高のメダル数に沸いたオリンピックが終わり、
パラリンピックが開会しアスリートの
素晴らしいパフォーマンスを目にする機会に
感動しているところですが、
皆さんは如何お過ごしでしょうか?

今月の佼成九月号会長先生ご法話
『善い縁を結ぶために』
に今月の精進を学ばせて頂きたいと存じます。

前項の「最高のご縁とは」で、
私たちはさまざまなご縁のなかで
生きているわけですが、
すべての出会いはその時のタイミングが
生み出す縁によるものだとお示しくださいました。

そして、誰でもその縁が、善いもの、
喜ばしいものであることを願っています。

とはいえ、こちらの都合通りに
いかないこともあるわけです。
たとえばパラリンピックなども“競技”ですから、
競う中には結果によって喜ぶ人もいれば、
悲しむ人もいるでしょう。

私たちも、精一杯の日々であればあるほど
結果を受け入れがたいことがあります。

そこで【この世のはたらきはすべて
天命であり神仏のはからいなので、
めぐりあう縁に善いも悪いもなく、
自分中心の見方をしなければ、
何もかもが必要あって出会う
有り難い縁だということです。】

の見方を大切にしてみることは、
そうした縁を通して真理を学び、
受け取ることともいえるのではないでしょうか。

それこそが「善い縁を結ぶ」
ことが本来の意味だそうです。

仏教徒である〇〇はすでに
サンガに連なっているから、
最高の善縁に恵まれている幸せ者といえそうです。

(ちなみに○○にわたしはとか
ご自身のお名前を
当てはめてみてはいかがでしょうか)
少しうれしくなりませんか?

続いて「心の姿勢が大事」では、
そもそも私たちは仏性のあらわれであることは、
それこそが善い縁を結びたいと願う
根本的な理由であってそれは、
すべてが調和した円満な状態を私たちの心は
常に求めていることなのでしょう。

そこで私たちが、すべてを善い縁に
していくポイントは「学ぶ姿勢」と
「気づきを省みる」ことであるようですが、
そこに私は、「させていただく」
という言葉をつけてみると具体的な取り組みが
見えてくるように思います。

「妙荘厳王本事品」の子が親を仏の教えに
導く内容から「柔軟」「謙虚」という
言葉を示して下さましたが、
それは先の「させていただく」と
取り組んでいるときの気持ちのようで、
自然と柔軟さや謙虚さが表に現れてくるように
感じるのではないでしょうか。

また、開祖さまの一説から、
心一つでわが子が人生の師とも
なる善縁の展開について、
先日、奈良教会のある方が、
娘さんが大役を担われていることを通して、
「わが娘ながら素晴らしい娘です」
と仰った言葉とお姿に、
大きな感動を頂戴しました。

まさに、わが子に学ぶ姿勢であり、
気づきを省みておられ私にとっても
善い縁になってくださいました。

出会いにはこのような
感動の機会があるわけですから、
大切にして参りたいものです。

今もコロナ禍ではありますから
不要の外出は控えるべきですが、
だからこそ今一度《正しく恐れる》
をもとに、日々の生活において
成すべき対応をすることで不要ではなく
お互いにとって貴重な出会いを
大切にしていけるのではないでしょうか。

今月は脇祖さま報恩会です。
脇祖さまのお徳に学び省み
「人さまを救うのは、まごころが第一」
の心構えで、最後の三行にあるように出会う方
おひとりお一人に応じた(こたえていく)
ご縁にならせていただきたいと存じます。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年八月度 ご法話を学んで

2021.8.1

★佼成8月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成8月号】

(朗読 MP3)

 

令和三年八月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
コロナ禍も第五波となり、
特に首都圏を中心に日々
感染状況の最高値を報じています。

また、紆余曲折ありつつも、
平和の祭典ともいわれる
オリンピックも開幕しました。

選手の活躍と共に新たな競技や
新ヒーロー・ヒロインの登場に
心の高揚を感じておられる方も
多いのではないでしょうか。

そんな感情と合わせて、
ご法話『心の隙間を埋める』を
皆さまと深めて参りたいと存じます。

前項の「心のなかには鬼も仏も」で、
貪欲・瞋恚・愚痴(とんよく・しんに・ぐち)
の三つ【人の心を毒する根本的な煩悩】を
三毒といい、
何事も飽くことなく貪り欲する心
・我による怒りの心
・目先のことしか考えぬ心が、
結果自分を苦しめることになると
教えて頂いています。

しかも、この三毒と言われる煩悩は
人間だれしも持っている心で、
釈尊であってもその心を
お持ちになっていたともあります。

しかしそこに違いがあるわけですが、
毒されない:その欲望や怒りを
制御できるかどうかが
分岐点であるようです。

要は、その私たちの中にある心を
コントロールできると、
つけこむ隙がなくなり
心の暴走を制御できることを、
「陀羅尼」を得ると仰っていると
受け止めさせていただきました。

続いて「常精進を助ける言葉」で
「陀羅尼」とは、
それを唱えれば心のなかで
動き回る貪りや怒り
や自己中心の思いを抑えて、
自分のなかにある仏の心を
はたらかせる力をもつ言葉であると
お示しくださいました。

更に、「葉隠」の中の言葉から
自分の行いを振り返ることを促す言葉も
「陀羅尼」といえるようですし、
かなり前から仰っていましたが、
会長先生の陀羅尼であろうと
受け止めました言葉
《おんにこんこ はらたつまいぞや そわか》
を唱えておられることを、
「実感を込めて感情の波が静まって
後悔する様な言葉を
慎むことができるのです。」
と教えてくださいました。

私たちもこの「陀羅尼」を持った日々を
送らせて頂きたいものです。

因みに私の最近の「ダラニ」は
〈大丈夫、生かされているから大丈夫〉です。

また、「陀羅尼」というスイッチを
もっている生き方は、
言い換えれば菩薩の道を
歩もうと誓いながらも、
迷ったり悩んだりすることが多い
私たちであることも気づかせて
くださっているものと感じた次第です。

自分にとっての「陀羅尼」とは
・・・でそれを考え、
会得することも心の隙間を
埋める助けになるならば、
先の
《おんにこにこ はらたつまいぞや そわか》
でも結構ですし、
可能でしたら、ご自身の「陀羅尼」を
考え会得してみることにチャレンジ
してみてはいかがでしょうか。

結びにあたり、八月は平和を
希求するものにとって、
平和の意味やその大切さを
かみしめる絶好の時ではないかと存じます。

ぜひともこの機会を活かして、
平和についてご家族やご縁の方々と
語り合いをもっていただき、
恒久的な平和な世界をめざしていくことを
祈り願って参りたいと存じます。

合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年七月度 ご法話を学んで

2021.7.1

★佼成7月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成7月号】

(朗読 MP3)

 

令和三年七月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。

七月の佼成、会長先生のご法話
『慈しみの眼をもって』
を学ばせて頂きます。

先月のご法話の最後に
菩薩の実践についてふれることを
示してくださっておりました。

引き続き法華経の観世音菩薩普門品の
一説から更に深まりのある
学びとさせていただきたいものです。

 

前項の「慈眼をもって衆生を視る」では、
慈悲の眼で世間や人々を見るとは、
どのようなことを大切にする見方なのか?

そこで山尾三省氏の詩が
その答えともいえるとして
紹介くださいました。

その詩から作者がほんとうに
大事なことをわかってほしいとい
う願いからできた作品を
手掛かりに考えれば、
「慈眼をもって衆生を視る」とは

【誰の中にも、観世音菩薩と
同様の深い慈悲心が
流れていると見ること。
そして、自他一体の大きな
「いのち」を生きており、
お互いにそのような尊い命を
頂いていると見ること】

が無量の福を呼ぶ慈しみの眼だと
お教えくださいました。

更にその詩から、私が注目したことは
《喜びを与えてくれる
・慰めを与えてくれる
・人を責めることをしない
・許してくださる》
という行いに自身やお相手の
中にある観音菩薩の慈悲心を
感じるのではないかと思います。

 

後項の「足元を照らす灯に」では
作家の立松和平さんの体験をもとに、
お互いに困っている状況の中で、
相手の役に立とうとする
心は大いなる救いとなり、
いたわりや思いやりという
淡い光の中にこそ、
菩薩が立ちあらわれると
仰ってくださいました。

私がその立場であったなら、
疲れ切った中で下を向いたままの
心が折れそうになっているだろう、
そのときに目に映ったその小さな灯は、
私は間違いなくそのご婦人までの
距離を安心して歩めた希望の光
だったのではないかと思います。

またご婦人にとっても頼りに
されたことは大きな自信にも
つながったのではないかと存じます。

どちらにとっても心の安心となり、
先のいたわりや思いやりを
感ずる場面ではと推察します。

ここで「普門示現」という
言葉が出てきましたがそれは、
【あらゆる衆生を平等にいつくしみ、
しかもそれぞれの人を救うためには
それぞれの人にふさわしい身となって
示現される:新釈出典】
とあります。

更に、ここで仏さまの根本的な
お心でもある、如来寿量品の一説
【どうしたら、衆生を仏の道に
みちびき入れることが出来るのだろうか。
どうしたら、早く仏の境地に
たっせしめることができるだろうかと、
つねにそれのみを念じているのです
:新釈出典】
という仏さまの本願をわが願いとして
日々の精進に励むことが
皆の幸せになることがわかると、
この観音経が私たちへの励ましと
救いへの実感として聞こえて
くるのではないでしょうか。

最後に、それを自身の目標においたときに、
私こそが観音菩薩になろうという
気概を持つことができるのだと
思わせて頂きました。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士

令和三年六月度 ご法話を学んで

2021.6.1

★佼成6月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成6月号】

(朗読 MP3)

 

令和三年六月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
六月の佼成、会長先生のご法話
『観音さまを念ずる』
を学ばせて頂くにあたり
今月の会長先生のお姿から
仏さまのように念ずることの
大切さを改めて感じた方も
居られるのではないでしょうか。

前項の
「自分の可能性を自覚する」
では、観音経という経題は
耳に久しいお経ですが、
困りごとがあると
何となく25番のお経を
あげていた自分を思い出します。

そこを
「観音経は単に念じれば救われる、
助かると教えるものでは
ないとうけとめています。」
と過去には、いかに真逆の
受け止め方をしていたものかと
赤面するばかりです。

しかし、そのことも真剣に向き合う
きっかけになるのであれば
尊重すべきことで、
その理由は法華経のなかの教え
だからだと言及くださいました。

法華経は
「仏になる教え」
と教えて頂いていますが、更に言うと
【仏になることを自覚する教え】
であるとも受け止め
【救う、助ける】
ことは私がさせて頂くことだと
得心しました。

また
「観音妙智の力」
について開祖さまは
「苦難に会ったときに
はねかえす内面的な力、
かえってその苦難から栄養をとって
成長する不可思議は心の力」
と教えてくださっています。

その力を内在している自己の
可能性を自覚、信じ念ずるとき、
安心感とともに様々なことに
向き合おうとする気力がわいてくる、
今思えばそんな時はすでに
苦から救われていた実感とともに
自覚を深めていただけた体験も
少なからずあったのではないでしょうか?

続いて
「すべての人を救いたい、という願い」
で、様々な”苦悩”を越えたことを、
「自分に具わっている力」
によって立ち上がってきたことは、
真理に目覚めて
「新たな人生が開かれた瞬間」
とお示しくださいました。

それは自身の
【変化向上を自覚した瞬間】
ともいえるのではないでしょうか。

更に、
「観音さまを一心に念ずる素直な心と、
内なる観音とが一つになったとき、
自分本来の力がはたらく」
とありますが、それぞれに内在する人を
救いたいと願う心とそれを信じ
働きかける力こそが自分本来の力と
私は受けとめました。

観音さまがさまざまな
手立てをもって人々を救うことは、
「すべての人を救いたい」
という観音さまと同じ心が
私たちにもあることと
「人びとに幸せや安らぎを与えたい」
と願う心で自分が一人の菩薩となって
実践に踏み出す大切さを観世音菩薩の
大きな二つのお徳として
教えて頂いたと思います。

具体的に先の観音さまと同じ可能性と
真理に目覚めた素直な心を感じる
精進としてそれぞれに
”私なりの菩薩”
をもって日々過ごして参りたいものです。

皆さんはどんな
”菩薩”
をイメージされましたでしょうか?
次月は私たちがイメージした
”菩薩”としての実践を
会長先生のご法話から学ばせて
いただけるのではないでしょうか。

最後に、コロナ禍の状況は刻々と
変化の様相を呈しております。

変異株の状況やワクチン接種の様子など
毎日のように報道されているわけですが、
ここにきてワクチン接種が
現実味を帯びてきた現在においても、
自身の接種のご縁からより
多くの方々の幸せや安心のために
私に何かできることは無いだろうか
と改めて考える機会でもあります。

特にここにあって
大切にしょうと思うところは
”考える機会”
ではないでしょうか。

目の前にある事象のために
私は何ができるのだろうか?
と考え、そして実行してみましょう。

それが菩薩の第一歩でしょうし、
それが次月のご法話で
かみしめることになるのでしょう。

今月も皆さんと共々
即是道場の精神で
精進してまいりたいものです。

合 掌             

立正佼成会 奈良教会長 中村 浩士

 

令和三年五月度 ご法話を学んで

2021.5.1

★佼成5月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成5月号】

(朗読 MP3)

 

令和三年五月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
五月の佼成、会長先生のご法話
『ていねいに暮らす』
をかみしめて参りたいと存じます。

前項の「分別しない」では、
私たちは行動の多くを知らずしらずに
大事なこととそうでないことを
分けて暮らしているのではないでしょうか?

という問いかけを頂戴し、
先ずは自身の一日の過ごし方を
振り返ってみたいものです。

朝目覚めてから行うすべてのことは
「一大事」であり、
その行いに対して心を注ぎ
“ていねい”に取り組むことに
変わりはないとお示しいただきました。

日ごろ私たちは、
直面することに重要度や優先度を
考えて様々な対処をしているわけですが、
先のお言葉から、重要度や優先度の
高低はあったとしても、
自身の都合によって気の無い返事や
真剣さのない行動をとっていることが
いかに多いことかと思います。

そう受け止めると
「朝目覚めてから」とおっしゃったことを、
イメージしてみますと
一日の一番初めに出会う他者は
家族でありますが、日々家族に対しての
あいさつは如何なものでしょうか。

「寝起きに頭がぼーっとしているから」や
「時間がなくて急いでいるから」
などと理由をつけて適当な
あいさつをしているとすれば、
そこで分別をしていた自身に気づかせて
いただけるのではないでしょうか。

実際、何事も大事にすることは
人として素晴らしいことは
誰しも理解できるところですが、
いつも張り詰めた状態も
長続きすることが難しいと
いうことも事実でしょう。

その心構えを後項の
「他者を思うことで」
で教えてくださっているのでは
ないかと存じます。

「普段気に留めないことに
少し心遣いを加えると、
それがより生かされる。」
とのことから、
いままで生活習慣に
流されがちなところをについて、
この機会にその場その場の所作や行動を、
おのずから“ていねい”
にしてみることに取り組んでみましょう。

それは「妙音菩薩品」で妙音菩薩が
数多くの三昧を得たことと
重ねてみることになり、
きっと近くにいる誰かの役に立ちたい、
遠くの国の誰かを喜ばせたいといった
妙音菩薩の願いを私も実感できる
のではないかと思います。

さらにいえばそのような心になると、
毎日当たり前のように行う
洗顔などにでも“ていねい”な
生き方をせずにはいられなくなると
最後にお示しくださいました、

【何を見ても「麗しきかな」
と受けとれる情感とともに、
いつでも幸福感あふれる日々が
そこにあります。】

を私たちの毎日に感じて参りたいと思います。

最後に、ゴールデンウィークを
目前に東京を始め関西3府県に
3度目の緊急事態宣言が発出されました。

対象地域と密接な関係にある
奈良においても同様に感染予防に
努める必要があると存じます。

そんな中、誰の間にも
イライラ感のようなもの多くが
漂っているように感じますが、
そんな時にぴったりな今月のご法話を
大切にさせていただき
緊張感を持った日々の過ごし方に
なりがちな状況にこそ
“ていねい”という視点を
持つことができるのではないでしょうか。

更に、そのことが“ていねい”
に取り組むことによって
感染予防にも通じることもあるでしょう。

それでは今月もご縁の皆さまと
共にかみしめつつ有り難さを
実感のできる精進を
してまいりたいと存じます。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村 浩士

令和三年四月度 ご法話を学んで

2021.4.1

★佼成4月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成4月号】

(朗読 MP3

 

令和三年四月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。

四月の佼成、会長先生のご法話
『いまをともに生きる』
を頂戴しました。

前項の「実践によって仏になる」において、
四月八日の仏教三大行事の一つである
降誕会
(お釈迦様がお生まれになった日)
をお迎えいたします。

※誕生したとき、
天人が香華を舞い散らせ、
竜が清らかな水を降らせて
産湯としたという
故事にもとづき、
降誕会では、季節の花で飾った
「花御堂(はなみどう)」
に誕生仏を安置して、
参拝者が甘茶を灌(そそ)ぎます。

降誕会が
「花まつり」「灌仏会(かんぶつえ)」
とも呼ばれる所以(ゆえん)が
ここにあります。
・・・教団HPより抜粋

また、生誕直後、
四方に7歩ずつ歩み
「天上天下 唯我独尊
(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」
と言われたとされています。

この言葉は
「宇宙に存在するすべてのものは、
仏のいのちを具えた尊い存在である」
という意味です。
・・・教団HPより抜粋

この言葉を「誕生偈」と言いますが、
仏教の本質をこれ以上ない表現で
示したものと仰っておられます。

それは釈尊だけではなく、
人はだれもが生まれた瞬間から、
それぞれ他と比べようのない
尊い存在であり、
そもそも仏教とは、
自らの命の尊さを自覚して
生きることを教えていることからも、
仏教の核心を伝えてくださっている
出来事だというのです。

合わせて、仏教は
「人が人を救う教え」
であることを踏まえて、
【生まれによって聖者となるのではない。
行為によって聖者となるのである】
という、忘れてはならない点に
今一度着目してみましょう。

道元禅師の「修証一等」
という言葉の意味は、
修行と悟りを区別しないということですが、
もっと言えば仏教の教えを
暮らしに生かす日々の精進と
いうことになろうかと思いますが、
私なりの表現とすれば、
「誰でも有り難い精進ができることは希望」
だともいえるのではないでしょうか。
それこそ、必要あってこの世に
命を授かった私の人生をど
のように生きたいと思っていますか?

という会長先生からの
問いかけなのではないでしょうか。

続いて、「春風となって」では
法華経の「薬王菩薩本事品」から
仏さまの教えを身をもって
実践することの大切さと、
その姿が多くの人に影響を及ぼすことを
「まず人さま」で
身と心と言葉を尽くすと
自分の幸せや喜びとともに、
みんなの救いにつながる光明と
お示しくださいました。

その心は薬王菩薩のお徳分でもある
自己犠牲の本意
「身をもってする法の実践」
であり、自分を犠牲にして
法のためにつくすという積極的な実践に
通じていくのではないでしょうか。

教えを知っていることも
大切なことではありますが、
困っている人にとっては
実際に手を差し伸べてくれることが
何よりの救いとなることも踏まえて、
それによって受けとめることができた
温かさや思いやりの心によって喜びとなって、
自他の命の尊さに目覚めることにも
なっていくのだとご指導いただきました。

先日、ある青年部員さんがおこしになり、
「自身が今のようにあることは
関りを持ってくださった
部長さんのおかげです。」
と、伝えたいとして
沢山のこれまでをお話くださいました。

そのお話をお隣で、
黙ってうなずきながら聞いている部長さん、
お二人の姿を見ているだけで
大きな喜びであり
お互いの命の尊さに目覚めているという
会長先生のご指導のごとくを
目の当たりにさせていただきました。

最後に、
「春風のように軽やかに
慈悲の心を届けられる日を待ちたい」
という結びを頂戴しましたが、
コロナ禍の状況は
変わらずあったとしても、
そのお心を受け止めて
私たち一人ひとりが、
慈悲の心をお届けできる
サンガを創造させていただこうという
強い決意を持ちたいものだと
思わせていただきました。

それでは今月もご縁の皆さまと共に
かみしめつつ
有り難さを実感のできる精進を
してまいりたいと存じます。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村 浩士

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