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まほろば 奈良教会長コラム

12月度会長法話を頂戴して(実践目標)

2011.11.30

今月の会長法話のテーマは「自らを灯として」です。

今月は釈尊が悟りを開かれた・成道の日を迎えます。ところで、釈尊は一体、どのようなことを悟られ、後世の私たちに何を伝えたかったのでしょうか?

 会長先生は次のようにおっしゃっています。

 釈尊はご自身の入滅を前に「すでにことごとく法は説いた」と語られたうえで、「私に頼ることなく、自らに依り、他人をたよりとせず、法に依って生きなさい」と示され、法を認識し、めいめいが自立して生きることこそ大事であると説かれたのです。

 それには、小さなことにとらわれないようにして、自己中心に傾きがちな心をコントロールする確固たる自己に依る生き方が大切なのです。

心を磨きあう法座で、苦悩の原因をさぐるなかで、自分の思いどおりにしようとしていたことに気づき、その心の転換をはかります。そうしたことをくり返しながら心を調(ととの)え、自分で苦難を乗り越えているのです。

釈尊は「他を頼らなくとも、みな自ら苦難を乗り越える能力が具わっている」とお説きくださいました。そのことに私たちが気づいていないだけである。そのことに早く気づいて法を認識し、どのようなことにも対応できる者となってほしいと釈尊は願われているのです。

 これは、一見不都合だと「×」(バツ)にしか見えない苦難と出合ったときに、思いどおりにしようとすると苦悩する。しかし、私たちは、その思いを捨て、そのなかに「○」(マル)を見い出す力を持っている。それを発揮しさえすれば苦難を乗り越えていけるのだと教えてくださっているように思うのです。

今月は、自らを灯として生きていけるよう、精進させていただきましょう。

平成23年11月度「会長法話」を頂戴して(実践目標)

2011.11.1

 

「謙虚になって、不都合なことも、大事なことに気づかせてくれるありがたい現象として受けとれる自分づくりに取り組もう」

今月の会長法話のテーマは「心田を耕す」です。

信仰は、困難に出会わないためにするのではなく、何かにすがるのでもなく、困難に出会ったとき、それを乗り越えるためにするのだと教えていただきます。どうすればそんな力を身につけることができるのでしょうか?

会長先生は次のように御指導下さっています。

会長に就任して二十年間、会員のみなさんとともにどのような方向に歩ませていただけば就任して二十年間、会員のみなさんとともにどのような方向に歩ませていただけばいいのかと思いをめぐらせ、あらためて釈尊の教えに立ち返り、「自らを灯(ともしび)とし、法を灯としなさい」と教えられていることに思い至ったのです。

人間は本来、どんな困難も乗り越え、解決していく力が具わっている……実践をとおしてそれを会得(えとく)し、身心の救いを得るのが仏教です。他のだれかに救ってもらうのではなく、問題解決は自分にかかっているのです。

それには、「心田を耕す」ことです。心田とは、「人びとに本来具わっているまごころ」であり、「菩薩の実践のよりどころとなる心(利他心・りたしん)」のことです。

心田がしっかり耕されると、ものごとの見方が柔軟(にゅうなん)になり、たとえ不都合に思うことが起きても悲観することなく、大事なことに気づかせてくれるありがたい現象として受けとれるのです。

それゆえ、つねに心田を耕す精進(しょうじん)が欠かせないわけですが、その秘訣の一つは憍慢(きょうまん)にならないことでしょう。驕(おご)ることなく、慢心することなく、謙虚に生き、行為と言葉と心を律するならば、とかく自己中心のわがままによってかたくなになりがちな心も柔軟に保てるのです。

ただ、人間の貪(むさぼ)り・怒り・愚(おろ)かさといったいわば雑草はいくら刈りとっても次から次へとはびこるものです。その雑草も土といっしょに犂(す)きこんで耕し、それを養分にするのが仏教の醍醐味(だいごみ)ではないかと思うのです。

心田にはびこる雑草をも精進のエネルギーに変え、あるいは利他の行ないにふり向けて、みなともに仏道を歩んでまいりたいものです。

機関誌「佼成:会長法話」を頂戴して

2011.10.6

今月の「会長法話」のテーマは「年齢を重ねる」です。
「老いる」とか「年をとる」とか言うと、なんとなく、さびしい気持ちになるのではないでしょうか。誰もが経験する「老い」(年齢を重ねること)を有難く超えていくのに、あなたはどのようなことを心がけていますか?
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