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まほろば 奈良教会長コラム

機関誌「佼成:会長法話」を頂戴して

2011.10.6

今月の「会長法話」のテーマは「年齢を重ねる」です。
「老いる」とか「年をとる」とか言うと、なんとなく、さびしい気持ちになるのではないでしょうか。誰もが経験する「老い」(年齢を重ねること)を有難く超えていくのに、あなたはどのようなことを心がけていますか?

会長先生は、「老い」の意義と喜びを感じることだとおしゃっています。

それは、年をとっただけ他を思いやるまごころと徳を具(そな)え、慈(いつく)しみ深い人になることであり、老いは経験を積み、思想を深め、人生を完成させていく「努力の過程」であり、そのためにもつねに学び、熟達の境地を目指す、ということだとおっしゃいます。
いくら年をとっても、まだ至らない、足りないと向上にいそしみ、それまでに培(つちか)ってきた知恵によって他を思いやる。そういう年齢の積み重ねをしていくことだとおっしゃるのです。

また、一年に四季があるように「生」があり、「老」があり、「病」があり、「死」があることがおもしろく、そこに喜びがあるというように、老いも仏さまの慈悲そのものとして受け止めて柔軟なまなざしで見ると、老いの喜びを感じられてくるとおっしゃいます。

そして、年齢、経験を重ね、学んだことの一つ一つを、胸に刻んで次の世代に伝えていくことも老人の役割の一つであり、それが先輩の使命でもある。とりわけ人間としてこの世に生まれた喜びや生命の尊さ、有難さなど、人生の核心、要(かなめ)となるものを後生(こうせい)に伝えることは、まさに思いやりの発露(ほつろ)であり、菩薩行にほかならないと教えてくださいます。

また、年齢を重ねてこそ豊かさを増すそうした知恵をさらに得ようとする前向きな姿勢が、生涯にわたって生きがいと喜びを生む原動力になると教えてくださいます。

今月は、「老い」(年齢を重ねること)を「×」(バツ)とみるのではなく、その中に「○」(マル)を見出し、仏性を発揮する縁にしていく修行に取り組みましょう。