立正佼成会 奈良教会 > まほろば 奈良教会長コラム > 令和5年2月度 ご法話を学んで

まほろば 奈良教会長コラム

令和5年2月度 ご法話を学んで

2023.2.1

【佼成2月号】

(朗読 MP3)



奈良教会発足50周年を
お迎えして1か月が経過しました
《感謝・出会い・継承》を
精進の軸にして参りましょう。

また、ちょうど寒修行も佳境に入り
満願成就目前の方や、
本部の配信を視聴して追いつこうと
されている方など様々のことでしょう。

叶うのでしたら皆さんと共に満願を
喜びつつ奈良教会に初めて
御来道いただくことになりました
西村近畿支教区長さんと
お出会い頂けましたら幸いです。

また、2月はお釈迦様が
お亡くなりになった涅槃会の月です。

生ずれば必ず滅するという理を深く
刻む月であると思います。
皆さまと共に感謝と報恩の誠を
捧げて参りたいものです。

今月の2月号佼成
「「他人事」を「自分のこと」に」
から学ばせて頂きたいと存じます。

前項の「「慢心」や
「おごり」に気づく」では、
冒頭の「健康で長生きしたい」
という願いについて多くの人に
共通する者だろうとありますが、
私は健康であることで長生きしたいと
いうふうに受け止めました。

ですから年頭ご法話などに
ありましたように
健康=元気であることが
大事であると思いましたが、
皆さまは如何でしょうか?

在原業平(ありわらのなりひら)
の辞世の句にあるように私も
必ず死ぬことを知ってはいたけれども
ここまで真剣に考えることは
無かったというように
日々、明日も今日と同じような
1日が来ることを疑わない自身が
あることは間違いありません。

親類縁者が老いも病も死ぬことも
自分には程遠いものと
していることも否めません。

しかし、そのことを釈尊は「おごり」
であったと反省されたそうです。

〈「若さ」を誇り、「健康」に甘え、
「命あること」を当たり前と
受け止めてその意味を知ろうともせず、
いたずらに老病死を嫌う
―そうした考えの誤りに気づかれ、
ご自身の「おごり、高ぶり」
を省みられた〉このように、
いのちの有様を真剣に
受け止めていく必要性を、
〈神仏、そして大自然か
ら頂戴した限りある命ですから、
その不思議さやり難さに早く気づき、
与えられた生をいつでも
精一杯生きることが大事と
釈尊は教えて下さるのです。〉

とお示しくださいました。

その中で私は、特に【早く】ということが
重要であると思います。

長い人生の中でも1日も早く気づくことで
より多くの幸せに
あることができると考えると、
未だその気づきに出会えていない方には
いち早く気づいてもらいたいと
いう願いに尽きると思います。

後項の「真に健康な人生」では、
会長先生の人生においての「おごり」
にも言及され間近でお見送りされた
開祖さまのお姿をも重ね合わせて、
老病死を切実に自分の問題と
受けとめるようになられたそうです。

少なからず、そのような経験が
私たちも成長を自覚することに
繋がっていると思います。
それを仏に近づいているとも
仰ってくださいました。

私たちは教えやサンガの
おかげさまで多くの老病死に
出会うことがあります。

その出会いを重ねるにあたって
自身の命の有様と重ね合わせ
【自分事】となるように
感謝の精進をお誓いしたいと存じます。

最後に、コロナ状況については
多くの検討が行われているところですが、
今ある健康に留意して多くの方々に
心身ともに健康になっていただけるように
良き縁となってまいりましょう。

そのためにも、菩薩行実践の誓願を立て
会員の皆さまとのお会いできることを
感謝で取り組んで参ります。

合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝