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まほろば 奈良教会長コラム

令和4年6月度 ご法話を学んで

2022.6.1

【佼成6月号】

(朗読 MP3)

令和4年6月度 ご法話を学んで



コロナ禍になってはじめて
制約の無いGWをどのように
お過ごしになられたでしょうか?

壮年部が中心となって
アフリカ毛布に多くの方々に
参画頂いたことと共に、
今年次の青年の日
《5月15日(日)》は
約3年ぶりに東大寺南大門前にて
一食ユニセフ募金をコロナ対策に
注意しながらのお声掛けでしたが、
参加のお一人おひとりが精一杯に
平和のために発した一言は
多くの方々の優しい心に
届いたことと存じます。

東大寺の皆さまはじめ
ご参拝の方々のお心とご浄財を尊くも
お預かりさせていただきましたことと、
奈良教会青年部が中心となって
各支部のご協力を得て行動に
顕すことができましたこと
厚く御礼申し上げます。

6月の佼成ご法話を皆さまと
かみしめて参ります。

前月の結びにありました
「忍辱が菩薩の精進である以上、
忍辱には慈悲のはたらきとして
利他の側面があることも
忘れてはならない」
とありましたことを
より深めて頂いていると
受け止めさせていただきました。

『最高の忍辱』では良寛さんの歌から、
人の言葉や態度を見て、
自分はどうであったかと省みるとは、
人がそのように自分を評するのには、
自分にそう思わせる何かが
あるのではないかと振り返ることが
忍辱の実践とお示し下さいました。

更に、自身を害する状況であっても
お相手の心配を自然になせる、言わば、
受け入れる気持ちが起きることが
「忍辱」とお教えくださいました。

ここで、開祖さまの十功徳品のご解説から
「なんとかしてあのまちがった心を
直してあげたい―という
慈悲の心が起こってくる」
これを『最高の忍辱』と
ご紹介下さいました。

その前段にある
「教えを聞いて自他一体感が深まり、
ものごとを客観視する習慣がつくと」
とあります。そのことが、
後半にお示しくださっているようです。

『心を少し教えに向けて』
ここでいうところの功徳について、
「つらく悲しい体験によってわかること、
気づくことの一つ一つで、
受け入れがたい事もしっかりと
見据えて受け入れ、認めることで
心の器が少しずつ広がって、より柔軟に
ものごとを受け止められるようになる。

また、自身の思い違いや自己中心性に
気づくことで、生きながらに生まれ変わる
大きなチャンスにもなることも
功徳とお教えくださいました。」

私たちは「すべては自分」
という心持ちを永く
ご指導いただいてきましたが、
ここでは、自己を振り返り、
その時その場でほんの少し心を
仏の教えに向けるだけでも、
柔和忍辱の心を身につけることができる。

なぜかと言えば、私たちには本来、
仏性が具わっているからとありましたが、
最後にクモの糸の歌がありますが、
ちょうど昨夜からの大雨で
いつも私が出入りしている
教会の勝手口に張っていた
クモの巣が無くなっているのでした。

私たちと同じように奈良教会を
大事なところ(住処)に選んでくれた
仲間だと思うとクモの安否を
心配している自身に
微笑ましく感じました。

目の前に顕れてくれた存在を
素直にそのまま受け入れてみると、
ご法話のように自他一体の
心持ちを感じることが
できるのではないでしょうか。

6月は年次の折り返し地点でもあります、
コロナの状況も少しずつですが変化を
感じるとこに来たようです。

だからこそ日がな一日のなかで出会う
すべてのものごとを、受け入れてみる
忍辱の心に触れてみようではありませんか。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝