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まほろば 奈良教会長コラム

令和四年一月度 ご法話を学んで

2022.1.1

★佼成1月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成1月号】

(朗読 MP3)

令和四年一月度 ご法話を学んで



新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりましたことと
共に元気に新たな年を迎えさせて
頂きましたこと重ねて感謝申し上げます。

昨年次は、コロナ感染拡大によって
何度も自粛を余儀なくされる機会が多く、
対応に苦慮した一年でありました。

その中、自粛生活が続くことで
思考が他者に向かず、どんどん、
思考も行動も自分さえよければ
それで良いという状態に陥りやすいとも
いえるのでしょうか。

しかし、ご本部、教会からの動画配信や
SNSを活用した法座や教育、
会議などオンラインでの面会に
挑戦のおかげさまでご法から
断絶することを多くの方々が
回避できたのではないでしょうか。

さらに、オンラインの先に本来から
大切にしてきたリアルの面会が
できている意味や価値を
尊いものであったと
再認識することができたのは
私だけではないでしょう。

活用が価値あることと知った私たちは、
令和4年次ついては、更に工夫を加えて
一人でも多くの方に法縁が広まりますよう
誓願して参りたいものです。

さて、毎月の佼成ご法話で法華三部経の
一説から深めて頂いて参りましたが、
1月からは化他行の六波羅蜜から、
布施についてお示しくださいました。

冒頭に、一年の心構えともいえる、
「コロナ禍で学んだことを活かして、
心休まる家庭とあたたかな地域社会を
つくる菩薩として急がず休まず、
精進を重ねて参りましょう。」
と受け止めさせて頂きました。

続いて、伝教大師と弘法大師のお話から、
仏の教えを学ぶ私たちにとって
大切なこととして
「利他(他の人を利益する)」
であり、釈尊の修行のきっかけも
「生死輪廻に苦しんでいるのを見て、
これを救済するため」
であったわけですから、そのために、
地位も財産もなげうたれその身を
すべての人を救う智慧(悟り)を
求めることに捧げられたお心が
「利他」であり、その実践によって、
私たちの手に仏さまの教えが
届けられていることは、きっと大切に
するべき受け止め方があるのでしょう。

後半には、先にも書きましたように
閉塞的な社会状況に自己中心な
思考から脱出できない方もある一方、
逆に「利他」の実践の大切さを
感じられてボランティア活動をはじめ、
応援消費、クラウドファンディングなどで
人のために自分の持っているものを
使う喜びや達成感や生きがいを覚える人が
増えているそうですが、
それだけ人の心が広く、
豊かになってきたことが、
コロナ禍が原因であるならば、
助け合う心を磨かれたことは
「コロナ果」という会長先生の表現は
因果のとおりと受けとめさせて頂きました。

仏教でいう布施から見てみると
社会貢献や支援や奉仕という
ワードで考えると誰にでも
親しみやすい取り組みが
利他や布施ととらえることができそうです。

更に、道元禅師の
「布施は不貪(ふとん)」なり」
には、気を付けるだけでできる
布施(貪らないこと)として、
ものを購入する際には、
本当に我が家に必要なものなのか?
を一呼吸して冷静になって
自らに聞いてみることで、
必要な人にものが届くという
考え方もあると思います。

他の必要な人の立場に立ってみることは、
コロナ禍だからこそ一層
大切にして参りたいものです。

人とは出会いにくいですが、
ものを介して人を思いやる私を
発現してもよろしいのではと思います。

それが、佼成の結びに示されている
心の布施を実感することと合わせて、
自身の欲への執着と財施の関係が
見えるきっかけになるのではないでしょうか。

最後に、3年目を迎えるコロナ禍ですが、
令和4年次は、奈良教会として
発足49周年であり、大きな節目となる
50周年を会員の皆さまと感謝で
有り難くお迎えするために、
重要な準備の一年となります。

おひとりお一人が開祖さま、会長先生
そして光祥さまとのご縁に感謝して
50周年をお迎えできるように
即是道場の精進を改めて決定して参ります。

皆さまにおかれましては、
お身体ご自愛の上よいお年をお迎え
頂きますよう祈念申し上げます。
合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士九拝