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まほろば 奈良教会長コラム

令和三年十一月度 ご法話を学んで

2021.11.1

★佼成11月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成11月号】

(朗読 MP3)

令和三年十一月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
コロナ新規感染者数が
下げ止まりの状況がつづき、
徐々にですが
人出の賑わいを感じるのは
私だけでしょうか。

その中でも不安感をお持ちの方や、
希望を感じる方と様々な感情を
抱えておられる方がいることを
忘れてはならないと思います。

私たちは引き続き注意するべき
行動に配慮してまいりましょう。

早速、今月の佼成ご法話
『なぜ、反省が必要なのか』
を学ばせて頂きたいと存じます。

人間には
「少しでも高く、尊く、
大いなる存在に向おうとする本能」
が備わっているので、神仏を仰ぎ、
敬う心が生まれることと、
その高みをめざすがゆえに、
現状とのギャップに気づきを
得ることから、省み恥じる心が
生じるとお示しいただきました。

《恥じる心》という言葉を伺い、
昔、心をチクリと刺す痛さを
感じることと言って
いただいたことを思い出しました。

様々な表現があるかと思いますが、
違和感のようにスッキリしない
気持ちなどもそれに似た
感覚なのかもしれません。

その感覚をもてることが、
理想とする存在や人間向上を
めざしているともいえるのでは
ないでしょうか。

それを
「反省や懴悔は向上を求める
前向きな意思のあらわれ」
とお教えくださっていると思います。

そのことについて、
仏説観普賢菩薩行法経
(以下・観普賢経)にあるように、
反省も懴悔も、仏性の
はたらきによる向上の証(あかし)、
菩薩の証明であって、反省、
懴悔ができること自体が、尊く、
有り難いことと受け止めさせて
頂きました。

後半では、反省と向上は一つであるが、
何度も失敗や後悔を
繰り返すことからの脱出とともに、
失敗や後悔を恐れて二の足を踏んで
進めないような窮屈さは、
息苦しくなりとらわれすぎると、
思うようにできない自分や人を
責めることになる可能性も
お示しいただきました。

そこで、観普賢経には、
「煩悩をすっかり断ち切って
いなくても、けっして煩悩に
溺れないこと。菩薩の行いは
それが大切です。」
とあり、それを、開祖さまは、

「自分が弱くて間違いやすい
人間であることを思い知ったら、
新たな決定(けつじょう)を
し直せばいいのです。
今年だめだったら、
来年は必ず決心すればいい」
と心の置きどころを
お教えくださいました。

いいところも悪いところも含めて
さらけだすと、心が洗われます。

これを私なりに言い直すと、
“心の洗濯”とでも言いましょうか、
そうして再始動すればいいのです。

同じ繰り返すのであればこの、
心の洗濯を繰り返して
参りたいものです。

この繰り返しが、
人間的な成長となるのでしょう。

最後に
「若し懴悔せんと欲せば、
端坐して実相を思え」
の《端坐:たんざ》について、
辞書では姿勢を正して
すわることとあります。

またその前文は、自分の業障を
完全にとりのぞこうとおもうならば、
とありますから、
反省、懴悔したら 身心をととのえて
正しく生きようと懸命に即是道場の
精進に徹することだと、
受け止めさせていただきました。

11月は令和3年度の
最終月ですから、
どのような一年であったかを省み、
どのような心持ちで
あったかによって、
次年度の因縁が変わる
重要な時間です。

中には現在も光明を見出せず希望を
感じることができない状況に
ある方もいるかもしれません。

しかし、反省、懴悔によって自身の
努力による功徳がきっと
見いだせるものと信じています

ぜひとも開祖さまの生誕会を機に、
報恩の感謝を顕すことができるよう、
サンガとともに修行精進させて
頂きたいと存じます。

今月もどうぞよろしくお願いします。
合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士