立正佼成会 奈良教会 > まほろば 奈良教会長コラム > 令和三年四月度 ご法話を学んで

まほろば 奈良教会長コラム

令和三年四月度 ご法話を学んで

2021.4.1

★佼成4月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成4月号】

(朗読 MP3

 

令和三年四月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。

四月の佼成、会長先生のご法話
『いまをともに生きる』
を頂戴しました。

前項の「実践によって仏になる」において、
四月八日の仏教三大行事の一つである
降誕会
(お釈迦様がお生まれになった日)
をお迎えいたします。

※誕生したとき、
天人が香華を舞い散らせ、
竜が清らかな水を降らせて
産湯としたという
故事にもとづき、
降誕会では、季節の花で飾った
「花御堂(はなみどう)」
に誕生仏を安置して、
参拝者が甘茶を灌(そそ)ぎます。

降誕会が
「花まつり」「灌仏会(かんぶつえ)」
とも呼ばれる所以(ゆえん)が
ここにあります。
・・・教団HPより抜粋

また、生誕直後、
四方に7歩ずつ歩み
「天上天下 唯我独尊
(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」
と言われたとされています。

この言葉は
「宇宙に存在するすべてのものは、
仏のいのちを具えた尊い存在である」
という意味です。
・・・教団HPより抜粋

この言葉を「誕生偈」と言いますが、
仏教の本質をこれ以上ない表現で
示したものと仰っておられます。

それは釈尊だけではなく、
人はだれもが生まれた瞬間から、
それぞれ他と比べようのない
尊い存在であり、
そもそも仏教とは、
自らの命の尊さを自覚して
生きることを教えていることからも、
仏教の核心を伝えてくださっている
出来事だというのです。

合わせて、仏教は
「人が人を救う教え」
であることを踏まえて、
【生まれによって聖者となるのではない。
行為によって聖者となるのである】
という、忘れてはならない点に
今一度着目してみましょう。

道元禅師の「修証一等」
という言葉の意味は、
修行と悟りを区別しないということですが、
もっと言えば仏教の教えを
暮らしに生かす日々の精進と
いうことになろうかと思いますが、
私なりの表現とすれば、
「誰でも有り難い精進ができることは希望」
だともいえるのではないでしょうか。
それこそ、必要あってこの世に
命を授かった私の人生をど
のように生きたいと思っていますか?

という会長先生からの
問いかけなのではないでしょうか。

続いて、「春風となって」では
法華経の「薬王菩薩本事品」から
仏さまの教えを身をもって
実践することの大切さと、
その姿が多くの人に影響を及ぼすことを
「まず人さま」で
身と心と言葉を尽くすと
自分の幸せや喜びとともに、
みんなの救いにつながる光明と
お示しくださいました。

その心は薬王菩薩のお徳分でもある
自己犠牲の本意
「身をもってする法の実践」
であり、自分を犠牲にして
法のためにつくすという積極的な実践に
通じていくのではないでしょうか。

教えを知っていることも
大切なことではありますが、
困っている人にとっては
実際に手を差し伸べてくれることが
何よりの救いとなることも踏まえて、
それによって受けとめることができた
温かさや思いやりの心によって喜びとなって、
自他の命の尊さに目覚めることにも
なっていくのだとご指導いただきました。

先日、ある青年部員さんがおこしになり、
「自身が今のようにあることは
関りを持ってくださった
部長さんのおかげです。」
と、伝えたいとして
沢山のこれまでをお話くださいました。

そのお話をお隣で、
黙ってうなずきながら聞いている部長さん、
お二人の姿を見ているだけで
大きな喜びであり
お互いの命の尊さに目覚めているという
会長先生のご指導のごとくを
目の当たりにさせていただきました。

最後に、
「春風のように軽やかに
慈悲の心を届けられる日を待ちたい」
という結びを頂戴しましたが、
コロナ禍の状況は
変わらずあったとしても、
そのお心を受け止めて
私たち一人ひとりが、
慈悲の心をお届けできる
サンガを創造させていただこうという
強い決意を持ちたいものだと
思わせていただきました。

それでは今月もご縁の皆さまと共に
かみしめつつ
有り難さを実感のできる精進を
してまいりたいと存じます。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村 浩士