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まほろば 奈良教会長コラム

令和二年十月度 ご法話を学んで

2020.10.1

皆さま、日々ありがとうございます。
秋季彼岸会を過ぎて、
秋が深まっていることを感じる今日この頃ですが、
皆さま如何お過ごしでしょうか。

コロナ感染対策に終始した今年度も、
振り返りをする時期となり
私自身のありようについても今一度、
内省させて頂いているところです。

また、教会の自粛期間の解除を
待ち望むお声を耳にするに、
多くの会員の皆さまの期待に早く応えたい
というところも視点として持っております。

現在、徐々にではありますが、教会役員、
並びに諸役の皆さんと検討を重ね、
より良いかたちでの解除にむかっていこうと
しているところです。

しかし、正式な定義はされていないものの、
コロナ感染の第2波ともいえる中で、
景気喚起策も順次発表されているわけですが、
未だ感染拡大当初の対策自体が
緩和されたわけではないことを鑑み、
改めて細心の注意を払いつつ、
引き続き会員の皆さまの善き縁となることが
できる即是道場のご修行に
寄与してまいりたいと願っております。

それでは、今月も10月号佼成から
会長先生のご法話を学ばせて頂きたいと存じます。

さて、今月は
『心が変われば、生き方が変わる』
と題してご法話を頂戴しました。

前項の、『みんな同じ仏の弟子』にて、
9月号佼成にもご紹介くださいました。

チューラパンタカ(周利槃特:しゅりはんどく)
が釈尊のお言葉を素直に信じて実践した結果
「心の塵を払う」ことが大事だと悟って、
生き方が一変したという説話と共に

「心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる」

という先の話を参考にしたかのような言葉を受けて、
運命、「めぐりあわせ」も変わり、
言葉を換えれば「縁:えん」が
変わることができることをお示し下さいました。

これは、チューラパンタカのように
大事なことに気づいて心が定まると、
縁の受け止め方が変わって、
不都合な縁であっても生かしていくことが
できるということを投げ掛けてくださいました。

そのように生かすことができればいいのですが、
できないと卑屈で捉える方に対しても
安心や希望を持たせて下さいました。

浅い受け止め方だと、
愚鈍なチューラパンタカでさえ
生き方が一変したのだから、
少しはマシな自分なら
いつでも生かす受け止め方ができる。

などと驕慢さを発揮しそうですが、
ここでは会長先生より、
チューラパンタカと同じく仏の教えをいただく
弟子の一人であることを忘れてはなりませんとあり、
それこそ同じご縁をいただくものの
希望や可能性として、「心の塵」の払い方は
人それぞれ違いがあっても、仏の教えを信じて、
行じていけば、おのずと運命が
変わっていくとお教えくださいました。

改めて、相対的に人と比べて可否を
感じることよりも、仏さまの教えを
いただいているという絶対のご縁を信じて
いくことの大切さを学ばせて頂きました。

後項では『「信じる」ということ』にあって、
《私たちはときおり心がぐらついて、
教えの軌道を外れ、自己中心の
言動に走ってしまいます。》

として、その原因を開祖さまのお言葉にある
「信仰は、ただやみくもに信ずると
いうのではなく、真理にめざめて信ずる」
から、ただ信じればいいのが信仰ではない。

「智慧」に根ざした生活を送ることが、
「仏の教えを信ずる」ことであり
「信仰」なのです。とお教えいただきました。

このお言葉を受けとめた時に、
仏さまとともにあるという実感を
お互いに語り合うことができたときほど
幸せなことは無いのではと思います。

そのような実感をもつ方々は
会長先生のお示し下さった「智慧」に
根ざした生活をされている
方々ではないかと思います。

私もご縁になる時にお互いさまに、
この「信仰」を深めることができたときに
本当によかったと喜ぶことができ、
私も一緒に共感できる私に
ならせていただいたのだと思うと
改めて感謝の気持ちでいっぱいに
ならせていただいております。

締めくくりに、
法華経の「分別功徳品」の一節を以って、

〈私たちが仏とともに
永遠のいのちを生きていることや、
みんな仏性なのだということを、
たとえ一瞬でも信じて「なるほど」と思ったら、
それだけで計り知れない功徳があるというのです。〉

この一瞬の納得のできた分のふり幅こそが、
教えの如くに生きることができる希望や
可能性なのだと思いました。

たしかに、日ごろは気持ちにもムラがあり
簡単に行ったり来たりを
繰り返していることが多いのですが、
少なくともこの一瞬だけでも
その理想のいただきを感ずることが
できた実感は何にも変えがたいもの
なのではないでしょうか。

先程の「なるほど」という納得を、
腑に落ちるという言葉と同義語とすると、

【心の据え方一つで、
いつでも仏と同じ大きな心で楽々と
生きられる人生が開けてくるのです。】

いま、ここから、より善くなることが
できることを、信ずることができているかを、
ご自身に問いかけてみてはいかがでしょうか。

そして、信ずることができていることを感じたら、
感謝でその喜びを伝えてみてはいかがでしょうか。

その行動の変化こそが楽々と生きていける
過ごし方になるのだと思います。

最後に、コロナ禍であって
大変な状況にもかかわらず、
喜びの声をお聴きすることが多くあります。

逆に、教えから遠ざかっていました、
という方もおられます。

日々の生活に自身を振り返ることの
機会がなかったのかもしれませんが、
今月は開祖さま入寂会の月です。

私たちは開祖さまの弟子として、
これまでの自分を振り返り、
特にこれまでに体験したしたことのない
状況下にありながらも、
どのような日々を過ごすことができていたのかを、
しっかりと内省の機会とさせて頂きたいものです。

まだまだ、直接お会いすることは
控える状況は続きますが、
お互いさま歩み寄ってご縁を結ぶ機会を
創造して頂けましたら幸いです。

先日もある会員さんからお葉書を頂戴しました。

近況やサンガの有り難さを
お知らせくださいました。

更に、自ら伝えようとされるお気持ちが
嬉しく安心させて頂きました。

皆さんもお顔の浮かんだ方へ
近況報告してみてはいかがでしょうか。

また、今月も元気に皆さまと共に
努力精進させて頂きたいと存じます。

皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。

合 掌
立正佼成会
奈良教会長 中村 浩士

 

★佼成10月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成10月号】

(朗読 MP3)