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まほろば 奈良教会長コラム

令和二年六月度 ご法話を学んで

2020.5.31

令和二年六月度 ご法話を学んで

皆さま、日々ありがとうございます。

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が
奈良県は5月15日より解除され、
続いて大阪府、京都府、兵庫県の2府1県も
解除され、近畿全体の解除となりました。

しかし、一部の自粛は継続されており、
感染の不安は払拭されていないことは
周知のとおりです。

奈良県の(5/15付)感染者を
分析した発表によると、
今後注意する参考にもなるかと
思いますので引用させて頂きますが

【①感染経路は大阪関連のものが多い
②家族感染が多い
➂会食や集会での感染が全体の1割程度
④外国での感染、外国からの訪問者から
感染したものが全感染の1割程度】
でした。

以上の4点について特に注意し引き続き、
3密(「密閉」「密集」「密接」)状態を作らず、
不要不急の移動を避けること、
感染の拡大防止を自身の生活に取り入れて
いくことが、すべての命を守る行動指針として、
我々一人ひとりに求められていることからも、
会長先生のお心をしっかり受け止めさせて
いただきたいと存じます。

さて、今月は『怠け心に負けない』
と題してご法話を頂戴しました。

前項の、『精進が大事と知りながら』では
昔の流行歌《わかっちゃいるけど、やめられねぇ》
の1節を私たちの心のはたらきをみごとに
あらわしたものとしてお示しくださいました。

先日来の自粛の日々の中でも、
ある店舗について開店しているから来てしまう
というインタビューの様子がニュースに
ほぼ毎日取り上げられていたところは
皆さんも目にされたことでしょう。

当然賛否はあるのですが、
ニュースに取り上げられている方だけに
視点は行きがちですが、私たちにも大なり小なり
《わかっちゃいるけど、やめられねぇ》
と諦めかけていることがあるように感じます。

仏教では「常精進(じょうしょうじん)」
が大事と教えているわけですが、
常に学び、身を修める努力を続ける
大切さとして説かれていることは、
多くの方に理解されているものです。

しかし、前述のように、やろうと
決めたことでも怠ったり、しないと決めた
ことでもついしてしまったりと
反省することがあるわけです。

そこで、法華経の「安楽行品」の1節を引いて
誰もが抱く、サボりたいとか飽きたという
気持ちを釈尊もよく理解されていたとして

「心の内から湧いてくるさまざまな誘惑や
迷いをふり払い、安らかな心で、みずから
ねがって、喜びのうちに精進できるように」

と私たちに説いてくださっていることを
お示しくださいました。

後項では『待っている人がいる』で、
孔子の言葉を引用くださり、子どもが大人を見て
「あのようになりたい」と思い、
その真似を繰り返すように、
目標をもって学び習うときは、
楽しくて仕方がなくなる様を、信仰の世界も同じく、
日々の目標や信仰の目的が自覚できれば、
あとはその思い(心)を貫くための
精進を繰り返す(習う)だけで、
それが習慣となって身につくことが
喜びとなり更に増すこと

「自分がなぜ信仰をしているのか、
なんのために日々精進するのか、
という目標や目的をつかむことが、喜びの
うちに精進する基本となるでしょう。」
とお教え下さいました。

努力や精進という言葉を伺うと思いだすのが、
皆さんもよく耳にされた
(ウサギとカメ)のお話しです。

諸説ありますが、ウサギとカメそれぞれの視点を
油断と努力として比較されることがあります。

うさぎはかめを見て競争しており、
カメはゴールを見て競争していたので、
結果はご存知の通り、カメが勝ったのだという
教訓のお話しです。

しかし、今月の会長先生のお心を学んで、
カメとして諦めずに少しでも前進しようする心と、
ウサギのように自力を過信し少しならと
休む怠け心も、どちらも私の中に存在する心を
気がつかせていただきました。

目標、目的をもった常精進できることの素晴らしさと、
やらねばならないという無理は禁物というご指導は、
どちらか一方だけが良いということではなく、
なんのために行うのかという信仰の根本を
お教え下さったのだと思います。

それを、『人を思う気持ちが盛んなときは、
飽きたり怠けたりする心が生まれないというのです。

どれほど疲れていても、わが子のために労を惜しまない
母親の姿が思い起こされますが、それはつまり、

「自分を待っていてくれる人がいる」と思うとき、
人は自己中心の思いから離れ、
その人の役に立ちたいという願いが湧いてきて、
精進の一つ一つが喜びに変わるということでしょう。』

お示し下さいました。よく先輩から、
(私でなければ救えない人が私を待ってくれている。)
と布教に歩く心構えをいただきました。

歩けば必ず私を必要としてくださる方とのご縁が有り、
些少でもお役に立てた実感が
私を育てて下さっていると思います。

だれかに指示されたわけでもなく、
強制されたことでもないわけです。

私の中から湧き起った
人の役に立てることの幸せをかみしめて、
「あなたを待っている人はいませんか。」
と投げ掛けていただいたことにお答えができるよう
皆さまとともに精進させていただきたいと存じます。

最後に、5月の青年の日は、
このコロナ禍にありながらも、
どのようにご縁を結ぶかという課題に
取り組んだ月でもありました。

青年のみならず教会幹部をはじめ会員の
皆さまの即是道場の修行を学ばせて頂き、
直接会うことを控える中でも工夫次第では
様々なご縁を結ぶことができる確信を得ました。

重ねになりますが、
~私を待ってくれている人との出会い~
を自らねがって、元気に努力
精進させて頂きたいと存じます。

皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

合 掌
立正佼成会
奈良教会長 中村 浩士

 

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【佼成6月号】

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