立正佼成会 奈良教会 > まほろば 奈良教会長コラム > 令和二年三月度 ご法話を学んで

まほろば 奈良教会長コラム

令和二年三月度 ご法話を学んで

2020.3.1

皆さま、日々ありがとうございます。

現在、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、日本国内でも大規模イベントなどの自粛や、中止、延期などの対応を余技なくされているところではありますが、是非とも、会長先生のおこころを頂戴し取り組んで参りたいと存じます。そこで「3月は創立記念の大切な月ですが、感染拡大を避けることを最優先とさせていただきます。「法華経によって人を救い、世を立て直す」という創立の精神をかみしめ、教会長を中心に一人ひとりが工夫して布教してまいりたいと存じます。」という方向性に沿って進めたいものと考えております。

場合によっていつもと違ったかたちで行われることがありますが、今月の佼成の会長先生のご法話は、当にこのような状況の中での精進をお示しいただいていると感じております。

 

さて、『今月は満足できる幸せ』と題して、学ばせて頂きたいと存じます。

「欲をはなれると」と前項には(欲深き人の心と降る雪は 積もるにつけて道を忘るる)という道歌のとおり、欲の皮が張っていると、人は、人として歩むべき道をいつしか見失ってしまいます。とお示しいただいたところから、二方向の捉え方を感じました。一つは文脈の通り、欲が深いとは必要以上の欲の心を使うと本質的な救いの道から外れていくのだというところと、もう一つは、本質的な救いの道を見出せないのは、過剰に欲ばり自分中心のものの捉え方に終始している時でもあるのだと、自身を振り返ってみました。

 

そんなとき、日増しに新型ウィルスの対応を求められるところとなっている中でも、どうしたら教えに則した修行精進ができるか、また会員の皆さんにもご理解をいただけるかを教会役員の皆さんと検討を繰り返してきました。先般も、工夫した布教という観点で準備も整い、さあこれからと一歩を踏み出そうとした矢先に、更なる対応として教会道場の期間的使用制限や、布教の延期や中止という、対応に閉塞感をもったことは事実でした。しかし、その閉塞感が先の避けることを最優先するという、会長先生の私たち会員一人ひとりの健康や幸せを願って下さっているお心をいかに理解できていない私だったことに気づかせて頂きました。

 

人のためにさせて頂こうと願っていたことであったはずなのに、準備したことが出来なければこの瞬間的に湧きあがった不足、不満の感情は、「自分の思うとおりにしたい」という必要以上の欲の心でありました。心が、「我」=「自分のこと」でいっぱいの状態というご法話のとおりの自分だったのでした。

 

後項の、「感謝こそ」にあるように、法華経の「見宝塔品」にある頭陀行:ずだぎょう(煩悩を振るい落とし、払い除く)を「少欲知足」とも言えることから、欲を少なくして足ることを知る生き方、特に、与えられたものをできる限り素直に受け容れて、感謝のうちに暮らすことは、常日ごろから頂いているご指導であったことに、改めて自身の到らなさを痛感しております。

しかし、法華経をとおして仏の教えを学ぶ私たちは、いつでも「満足できる幸せ」のただなかにいるといってもいいのかもしれません。とご教導いただいたことは、その気になればいつでもそのようになれる状況にあることを深めて頂きました。

 

あらためて、「生きていくなかで、授かったすべてに合掌する」ことこそ、冒頭にありました、本質的な救いという、忘れてはならない大切な道であると思考が定まりました。

やはり、どんなときも、感謝と喜びを忘れない日々の暮らしそのものが、ほんとうの満足と幸せであるのだと、学ばせていただきました。

 

最後に、未だ、収束には到っておりませんが、自分のことだけに終始するのではなく、周りのひとの幸せを願い、こういう時だからこそ、心を一つにして参りたいものです。

その心もちが、年頭のご指導でもある「即是道場の精神」の発揮であると思います。

今月も、皆さんと共に修行精進の道を歩ませて頂きたいと存じます。

 

合 掌

立正佼成会

奈良教会長 中村 浩士

『佼成』会長法話 3月号