まほろば 奈良教会長コラム

9月度 実践目標

2012.9.3

「息を調え、生かされていることへの感謝の自覚を持とう」

  今月の会長法話のテーマは、「息を調(ととの)える」です。

 思いどおりにならないと心が波立ち、さらに思いどおりにしようと怒って興奮し相手を責め、イヤな関係になってしまうことはないでしょうか。

 そうならないにためには、どのようにすればいいのでしょうか?

 会長先生は、今月の会長法話で次のように教えてくださっています。

 ・釈尊の教えの一つに、息を吸ったり吐いたりするたびに、「私はいま長く息を吐いている」「長く息を吸っている」というように念じ、呼吸に意識を向けると、貪欲やよけいな思い煩いにふり回されない安定した心が得られる、と教える経典があります。

  ・仏教は自覚の教えといわれます。一人ひとりが真理のはたらきに気づき、自らをコントロールすることが大事ですが、呼吸に意識を向けるのは、人間の生きる原点である息をとおして身心をコントロールする身近な方法です。

 ・荘子は「深い呼吸が穏やかで高い徳を具えた人をつくる」という意味の言葉を残しています。

 その意味では、深い呼吸が心を調えるうえで大切ですが、ふだん、ことさら息に意識を向けたり、習慣的に深い呼吸をしたりすることはあまりありません。しかし、ほんとうは日常生活のなかで、ゆったりと息をすることが大切なのです。

 そこで、たとえば朝と晩、読経供養が終わったあとの三分から五分をそうした時間にあててみてはどうでしょうか。

 仏前で正座のまま、握りこぶし二つぶんくらい膝小僧のあいだを開け、体を左右に揺らして姿勢を調えます。そうして口から息をゆっくりと吐き出し、吐ききったら自然に入ってくる吸気を鼻からとりこむのです。

 そのとき、「喜びを感じながら息をしよう」「心を鎮(しず)めて息をしよう」「無常を観じながら息をしよう」と、念を凝らしながら呼吸をすると、身も心も落ち着いてきます。

 同時に、呼吸や心臓が一瞬も休まずにはたらいてくれている「いのち」の不思議に気づくと、「生かされている」ことへの感謝の自覚が生まれます。

 その自覚が、欲や慢心からわが身を守り、自己コントロールという「大果・大功徳」をもたらすのです。

  今月は、朝晩の読経供養のあと、身心を調える深い呼吸をする習慣を身につけ、「生かされている」という感謝の自覚をしっかり持ち、「仏さまに護られている」「何ごともすべて仏さまのなさること、悪いことが起こるはずがない」と信じて任せ切る自分づくりに取り組みましょう。