まほろば 奈良教会長コラム

平成三十年六月度実践目標

2018.6.1

どこまでも、一切衆生悉有仏性と惜しみなく出逢い

           心の枠を広げる実践に!

 

教団創立八十周年の後半の月を迎えました。

地域の人々と共に、我々が菩薩を育てる苗代となれるよう役割を果たしてまいりたいと

思います。会長先生のテーマは「踏みとどまる」です。次のようにご指導下さってます。

 

現存する経典のなかで最も古いものの一つとされる法句経に、「走る車をおさえるように、むらむらと起る怒りをおさえる人 ─ かれをわれは〈御者〉とよぶ」(中村元訳〳岩波文庫)という一節があります。ここで釈尊は、怒りをコントロールすることの大切さをお諭しくださっています。しかし、そう教えられても心にブレーキをかけるのは難しく、それは何も怒りの衝動だけに限りません。いわなくていいことを口にしたり、誘惑に負けて買わなくてもいいものを買ったり道を踏みはずしたり、そのことがもとで人と争ったりする私たちなのです。

では、怒りや欲、自己中心の考えに流されそうになったとき、どうすれば踏みとどまることができるでしょうか。私は、とりあえず「ひと呼吸おく」ことをおすすめします。

一度、深呼吸をするだけで少し心が鎮まります。できれば、ひと晩おいて冷静に考えるのも大切なことでしょう。また、信仰をもつ人であれば、心に貪・瞋・痴の黒い雲がわきかけたら、「仏さまはどうお考えになるだろう」「どうなさるだろう」と思いをめぐらせば、冷静さをとり戻せると思います。なかには、神仏のような姿の見えない存在ではなく、「親父ならどうするだろう」「母なら・・・」と、直接ご縁のあった身近なお手本を思い浮かべ、怒りや欲やわがままな気持ちを落ち着かせる人もいることでしょう。

「八正道」の二つめにあげられる「正思」は、「貪・瞋・痴を離れ、仏さまのような大きな心で考える」ということです。

そこで、少し見方を変えて「正思」の内容を吟味し、理解を深めてみてはどうでしょう。欲ばる心、怒りの心、他を蔑ろにする心のないのが「正思=正しく考える」ということですが、それは「分けあう心」「あたたかく接する心」「いたわる心」で考える、と言い換えることができます。そして、それをひとことでいえば「思いやり」にほかなりません。つまり、ここでいう「正しく」とは、「思いやりの心で」ということになります。以前、「黙して太陽の如く、清風の如く、柱の如く、石の如く」という言葉をご紹介しました。人とのトラブルなどで激しい感情にふり回されそうなときほど、この言葉のように静かに大自然のありようを想い、心の枠を広げてみましょう。

天地自然と私たちが一つであるように、目の前の人とも一つなのだ ─ そうした気づきによって、私たちは自らの心の〈御者〉になれます。仏さまのような大きな心で、

感謝の人生を歩むことができるのです。