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まほろば 奈良教会長コラム

平成29年10月度実践目標

2017.10.1

  悩むときこそ 同じ悩みを持つ人の 声を聴く「手どりの妙」を!

 

開祖さま入寂会と日蓮聖人遠忌法要の月です。ご入寂された開祖さまを偲び、「追慕・讃歎・報恩感謝・継承・誓願」の意を新たにし、法華経の広宣流布をお誓いしたいと思います。

今月の会長先生のテーマは、「苦悩」と「苦労」です。次のようにご指導下さっています。

 

人はだれでも、できれば悩んだり苦しんだりしたくないと思っています。しかし、どんなに幸せそうに見える人でも、程度の差はあれ、悩みごとの一つや二つは抱えているのではないでしょうか。たくさん悩んで苦労を重ねたことが、のちのちその人の大きな心の財産になっているというケースをよく見聞きします。今月四日に入寂会を迎える開祖さまは、子の病という苦悩が宗教とのご縁となり、その後、人生を大きく変える法華経との出会いがあったわけです。そう考えると、「悩むからこそ、いろいろな教えを求め、どう生きることが大切なのかを真剣に考える」といえそうです。誤解を恐れずにいえば、悩めばこそ向上があり、悩むことは人間にとって大事な経験だと思うのです。

水が冷たいか暖かいかは、それを自ら味わってみればわかる、という意味の禅語「冷暖自知」が示すように、苦しみや悩みは貴重な経験として「ありがたいもの」だということも、いろいろな体験をして初めて「ああ、ほんとうにそうだな」「苦があればこその楽なのだ」と受けとれるようになると思うのです。

釈尊は、「一切皆苦」~この世のものごとはすべて苦であると教えてくださっています。

そして開祖さまは、「この真実をしっかりと見つめ直し、それを腹の底に据え直すことが、何よりも大切」で、「そうすれば、苦境というものは、なにも特別なものではなく、人生にとって、ごく当たり前のことだということがわかってくる」「苦境を特別な状態だと考えるからこそ、苦しく感じたり、それを予測して不安におびえたりする」と喝破しています。

しかし、どうにもならないことだとわかっていても、それをなんとかしたいと悩み苦しみ、悶々とした日々を送ることの少なくない私たちです。天台宗の酒井雄哉大阿闍梨は、そういうときには「頭でずーっと考え事をしているよりも、『体』を使いながら、ひたすらなにかをやってみるほうがいい」といいます。

同じ苦しい状態でも、漢字で「苦悩」と書くときの「悩」は「心を乱す、思いわずらう」という意味で、これは頭のなかで問題が「停滞」し、堂々めぐりしている感じがします。一方、「苦労する」というときの「労」は、「つとめや仕事の疲れや骨折り」をさし、そこには問題を一歩前に進める「動き」があります。それは、先の「冷暖自知」に通じる得難い経験にもなるのではないでしょうか。本会で、「悩んでいるときには、同じような悩みをもつ人の声を聴かせていただこう」というのも、人さまのために労をいとわず動くことが、「苦悩」を「苦労」に変える秘訣だからでしょう。感謝もまた、そこから生まれます。釈尊は、すべての人を救いたいと決意され、布教伝道に邁進された「大いなる苦労人」といえるのです。