まほろば 奈良教会長コラム

平成29年9月度実践目標

2017.9.1

 

 尋ねる・伺う実践を通し

    「縁」から学んで転換できる 智慧の悦び!

 

九月十日は脇祖さま報恩会です。長沼妙佼脇祖のご遺徳を偲び、慈悲行の実践に努力したいと思います。今月の会長先生のテーマは、人に「伝える」ということです。

次のようにご指導下さっています。

 

仏さまの教えを学び、生活のなかで実践していく~~それは、さまざまなことが起こる人生において、たとえ悩んだり、悲しい思いをしたりしても、直面した苦悩を受けとめて乗り越えていく「智慧」を身につけることになります。さらに、学んだ教えを人さまにお伝えすることは、よりよく生きていくうえでの「智慧」や「慈悲」を体得する大事な実践であります。法を伝えること、つまり布教伝道は、「一人でも多くの人に真理を知ってもらい、幸せになってもらいたい」と願う法の布施であると同時に、法を伝えることをとおして、自分の心田を耕していく精進にほかならないのです。

私たちは、自分がよくわからないことを人に伝えることはできません。また、人にものを伝えるには、それなりの理解が必要です。ところが、私たちの知識や経験の量はほんのわずかです。そうすると、人に何か伝えようとするときに大事になるのは、「自分は何も知らない」という謙虚な姿勢ではないでしょうか。私たちが読経供養の際に唱える「三帰依文」に、「自ら法に帰依し奉る〳当に願わくは衆生と共に〳深く経蔵に入って智慧海の如くならん」という一節があります。何も知らない私たちは、ですからいつも「智慧海の如くならん」と願い、誓っているわけですが、つねにその場にふさわしい仏さまの智慧をいただくには、「衆生と共に〳深く経蔵に入って」~~つまり、相手とのご縁を大切にして、いつ、だれに対しても「学ぶ」姿勢を忘れないことを、この一節から教えられます。「教えよう教えようとすればするほど智慧の泉は涸れ、学ぼう学ぼうとすると、智慧の泉はこんこんと湧いてくる」

と聞いたことがあります。伝える内容が何にせよ、教えよう、伝えようという気持ちよりも、相手の声にひたすら耳を傾け、学ぼうとする姿勢のなかから、相手によく理解してもらえる言葉や心くばり、すなわち自他をよりよく生かす智慧が湧いてくるのだと思います。

ところで最近、ある高校生の体験説法にふれる機会があったのですが、自分の感動を率直に述べたそのさわやかな語り口からも「伝える」ということの大事なポイントを学ばせてもらいました。ひとことでいえば、「ありがたい、うれしい、楽しいと感じた純粋な気持ちを、素直に伝えることほど人の心に響くものはない」ということです。それを私たちの日常に当てはめてみると、「ありがたいことをたくさん見つけ、人さまに伝えていく」ということになるでしょうか。そこには、つねに感謝を忘れない心の姿勢があり、日々の幸せと喜びがあります。そして、いつも明るいその姿は、「こういう人になりたい」と、まわりの人を感化

せずにはおかない魅力があります。それは、そのままで布教伝道といえます。