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万陽だより

日々の活動のなかで感じた気づき、ふれあいを通していただけた喜びの一端をご紹介します。

東日本大震災被災者の体験談

2012.3.8

忘れられないあの震災から一年が経ちました。



当時、福島市内に住んでいて、比較的災害の影響を受けなかった私が、震災の事を語るのは、被災された方々に大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、私自身が震災を通して気づかせて頂いた事を書かせて頂きたいと思います。

震災が発生した午後2時46分、私は、会員さんの手取りに向かう車中にいました。助手席の携帯から聞いたことのない地震速報のサイレンが聞こえたのと同時に、激しい横揺れに襲われ、両手でハンドルを握ったまま携帯を手にすることもできず、ドアを開ける事もできない。車中から外を見ると、周りの店舗から多くの人が外に出てしゃがんだまま泣き叫んでいました。道路は大きく波打っています。

私は、ただただ、なすすべもなくしっかりハンドルを握りしめ、6分という長い時間が過ぎていくのを耐えていました。本当に長い横揺れでした。その後、余震が続く中、福島教会にやっと辿り着くとすでに停電していて、携帯も繋がらなくなっていました。次の日には、水道も出なくなり、ガソリンも給油出来なくなりました。支部の主任さんとも連絡が取れず、時間をかけて自宅に向かい顔が見れた時には抱き合って無事を喜び合いました。

当たり前に生活していた毎日が一瞬のうちに、電気、ガス、水道、電話、買い物すら何時間も並んでもできなくなる。又、福島市は放射線量が高く、外出できずに屋内待避の日々がしばらく続きました。目に見えない、匂いもしない放射能。いつ水素爆発を起こすかわからない恐怖の中での生活が始まりました。

でも、私達は教えのおかげさまで、東日本大震災大菩薩さまと教えて頂き福島にいる私達が、震災の中から光りを見出していく。福島から命の尊さ、今に感謝して生きる事を体験した私達だからこそ発信していくお役があるんだと、布教に出させて頂きました。

布教先で聞かせて頂く話しは放射能に対する不安ばかりでした。小さい子供がいるので福島を離れようとしている婦人部さん。離れたいけどご主人の仕事を辞めてまでは行けない。お年寄りの事を考えると連れてまで行けない。でも、不安で、不安でたまらない・・・

そのような話がほとんどで、私達に何ができるのだろうと法座で語り合いました。「絶対、大丈夫だよ」とは現実をみるととても言えませんし、「避難したら」と安易には言えません。放射能の中で不安を抱えながら生活している心に寄り添って共感することしかできずにいました。

また、一瞬にして亡くなられた人々の事を思うと、その中でも生きていられる、今、生かされていることに感謝し、布教に出させて頂ける。大変な状況の中、このような心の状態でいれるのは、本当に教えのおかげさまでありがたいと、毎日、毎日、かみしめ合いながら修行させて頂いていました。

又、震災後の支部法座は以前とは違い、ご主人と仲良く出来なかった人、嫁の欠点ばかり目についていた人、姑の小言にうんざりしていた人、いろんな問題を抱えていた人たちが、明日どうなるかわからない体験をしたおかげさまで、今、主人と仲良くしよう。今、嫁の良い所を見ていこう。今、姑さんに喜ばれる私になろう。と、実践して救われていく会員さんの喜びで法座が楽しくなっていきました。

今、自分の心と行いを変えていく事で苦と思っていたことが苦でなくなり、自分自身が救われていく。会長先生から教えて頂いた「今、ここ、われ!」というお言葉が身にしみてわからせて頂きました。

主人の退職に伴い京都の実家に越してきて2カ月になります。24年間住み慣れた福島を、震災の中、泣いたり笑ったりしながら共に修行したサンガの皆さんと離れるのは容易なことではありませんでした。でも、離れていても心はひとつ。こちらに来て私にできる事は、まだ、まだ、沢山あると信じています。

あの震災を忘れることはできません。でも、あの震災から得た宝ものを、これから出会う人々に少しでもお伝えさせて頂きたいと思っています。そして、まだまだ、復興が進まない被災地のみなさんに、一日も早く安穏な日々が訪れることを願ってやみません。
合掌

(2/23感謝の集いでの発表より)