まほろば 奈良教会長コラム

3月度 実践目標

2012.3.2

「足ることを知る心」をめざして、いつもごく当たり前に利他の行いをしていこう

  あれもほしい、これもほしいと欲ばり、その挙句、整理がつかなくなって困ることがないでしょうか。また、問題が複雑に絡みあって解決のいとぐちが見つからないときや、大きな衝撃を受けたとき、心の整理がつかず困ることがないでしょうか。

 そんな時、どのようにして心の整理をしていますか?

  会長先生は次のようにご指導くださっておられます。

『「多欲の人は利を求むること多きがゆえに苦悩もまた多し。もし諸(もろもろ)の苦悩を脱せむと欲すれば、まさに知足(ちそく)を観ずべし。」(遺教経)(ゆいきょうぎょう)

 心を調(ととの)えるには、まず身の回りを整えることです。

 「縁起の法」などの真理に照らしてみると、何が悩みのもとであり、どうすれば苦を離れ気持ちが楽になるのかがはっきり見えてきます。

 突き詰めれば、どれも「自分の思いどおりにしたい」ことによる苦悩なのです。

 欲望を捨てることはできません。しかし、「足ることを知る心」一つで、身も心もずっと軽くなるのです。

 志(こころざし)という字は「十ある欲望を一つに統一する心」と読めます。心にわき起こるたくさんの欲を一つに集中させ、他の幸せをという仏の願いに向かって歩んでいくことが私たちの志です。欲望にふリ回されるときに「志」の一字を思い浮かべることが、「足るを知る心」に立ち返る一つの方法です。

 直面しているできごとに対する執着(しゅうちゃく)やとらわれ、煩悩が「縁起の法」などの真理を見る目をしばしば曇(くも)らせるのです。

そうした煩悩(ぼんのう)から離れるには、日ごろから自分のことよりも「まず人さま」と、利他の行ないに心を向けること、そしてそれがいつもごく当たり前にできるようになることが大切です。 』

  これは、不都合だと思うことに出会ったとき、それを「×」(バツ)と見て思いどおりにしようと相手や条件を変えようと努力するのではなく、相手や条件をそのままで足りていると受け容れ、「○」(マル)を見出す、自分の仏心(ほとけごころ)(明るく・優しく・温かい)を発揮するチャンスにすることではないかと思うのです。

創立記念日を迎える今月は、釈尊が後世の私たちに伝えてくださった「足ることを知る心」を身につけれるよう、精進させて頂きましょう。