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万陽だより

日々の活動のなかで感じた気づき、ふれあいを通していただけた喜びの一端をご紹介します。

親孝行出来ることの幸せ

2012.2.19

母が、脳梗塞で入院してから半年が経ちました。

言語障害と右半身の麻痺は残るものの、穏やかな笑顔は発病前と変わらず、同室の人を気遣う様子は長年佼成会で培われた姿勢そのもので、我が母ながらすごいな~と感心してしまいます。

母は私がまだ学生の頃、佼成会に入会しました。動機は父親の酒癖でした。気弱な父は酒を飲むと、気が大きくなり、人が変わります。酒にまつわる事件は数知れず。七十を越えても、飲みすぎて体調を崩す、を繰り返していました。そんな父を母はずっと支えて来ました。

私は、子供の頃から父親を困った人だなと、否定的に見ていましたから、体調が悪いと聞いても、自業自得じゃないの?と、思いやりの言葉もかけず、車で40分の実家に年4回程しか帰りませんでした。

今年の正月も父は酔っ払って道で転倒し、しばらく寝こんでいました。ようやく回復しかけた頃、また飲み過ぎて体調を崩し、寝たり起きたりしていました。私は三人兄弟ですが、妹も弟も見舞いに帰ったようですが、後は母から電話で様子を聞くだけでした。   肌寒さが残る4月、「もう、しんどいわ~、お父さんの相手は」と電話口で母は笑いながらそう私に言ってきました。私には母が愚痴をこぼしてるだけに聞こえ気にかけませんでした。

母が倒れたのは、その翌々日のことです。 連絡を受け、病院に駆け付けたとき、病室の外には肩を落とした父が立っていました。父は「いつも早起きの母ちゃんが今日は起きてこんかった、寝とると思ってなんも疑わんがった、気付くのが遅かった。オレが悪かったんや。」と何度も繰り返し言います。父にうなずきながら病室に入ると、妹が、一生懸命に母の手をさすっています。弟は母の頬に自分の頬をすり寄せるように母に話かけていますが、母の意識は全く無く、青白い顔でぐったり横たわっていました。
私は、お母さん、「わかる?」と声をかけましたが、反応はありません。時折、苦しそうな表情をみせます。母の顔を見つめながら、こうなる前に何故もっと、親孝行しなかったのだろうか。と。自分を責める気持ちが沸いて来ました。妹や弟も同じことを思っているように感じました。 生きてて欲しい!と、そう強く念じました。

二日後、母は意識を取り戻しました。それから半年の間、私達兄弟は 毎日のように情報交換しながら、代わる代わる母の病院に通っています。父はと言えば、「いままでお母ちゃんに苦労かけたから」「お母ちゃんに今までしてきたこと許してもらわなあかんから」と言って、母が倒れてから三ヶ月間、雨の日も風の日も、一日も休まずに母の見舞いに通い続け、今でも二日に一度、通っています。酒も絶ち、自炊しながら母がいない家を守ってくれています。

9月の81歳の誕生日には私達三人からプレゼントをもらい喜んでいました。 私も妹も弟も、父に優しい言葉をかけられるようになりました。思えば、私たちを育ててくれた父なのです。   今、兄弟三人仲良く親孝行させていただいていることが本当に幸せです。病気と闘い生きていてくれている母に感謝です。また母の回復を一緒に祈って下さった奈良教会の皆さんにも心から感謝しています。ありがとうございました。

これから先も歳を重ねて行けば行くほど様々な事に出会うとは思いますが、父、母を支え、兄弟仲良く乗り越えて行きたいと思います。ありがとうございました。合掌 (主婦 H )