まほろば 奈良教会長コラム

平成26年10月度実践目標

2014.10.1

「心を落ちつけて食事に臨み、感謝を見いだし、身心ともにも健康になろう」

今年も「食欲の秋」を迎えました。日本ではいま、肥満や生活習慣病に悩む人もおおぜいいます。それは毎日の食事の習慣に起因するともいわれます。どのような習慣が身につくと健康になれるのでしょうか? 会長先生は次のようにご指導くださっています。

・「つねに心を落ちつけて、適量を知って食べる人は、苦しみが少なく、老いもゆるやかで、寿命をたもつのです」。 
これは釈尊のお言葉ですが、現代人にも通じる大事なことがここに教えられています。
 まず、欲望にふり回される人間の悲しさです。年齢に応じた適量を知り、一食一食、食べすぎない、ここに生き方の基本があると釈尊は示されたのです。
「つねに心を落ちつけて」とは、智慧(ちえ)に基づいてものごとを正しく観(み)たり、大きな視点でとらえることを意味しています。では、そのような目で目の前にある食事を見ると何が観えてくるのでしょうか。
 動植物の生命(いのち)をいただくという現実が、まずそこにあります。
それから、自然の恵みを育て、加工し、届けてくれる人のご苦労や、食事を作ってくれる人の思いも観えてきそうです。
 ある人は、貧しい生活のなかでも毎日ていねいにダシをとった味噌汁で、体の弱い自分に栄養をつけてくれた母親の思いをいま、一杯のお椀に感じるといいます。
 また、一膳のご飯を前にして、自然に食欲がわいてくる健康の有り難さを思う人がいるかもしれませんし、一日に一度の食事もとれない人びとに思いを馳(は)せ、自分の現在の幸福を味わい直す人も少なくないでしょう。そして、自分はそのような人のために何ができるだろうか、と。

・惰性(だせい)で流しこむように食べるのではなく、心を落ちつけて食事に臨(のぞ)むとき、私たちは感謝にめざめるのです。感謝は生命を尊(とうと)ぶ心を養(やしな)うなど、心の健康の原点であるのはいうまでもありません。

・わが家では賞味期限の迫(せま)ったものを購入するように努めています。そうすれば、期限切れで廃棄(はいき)されるものが一つでも減ると思うからですが、そのような実践も少食の動機づけの一つになるかもしれません。
 また、本会で食事の前に唱える「食前感謝のことば」は、欲に走りやすい私たちが、大切なことを思い出すきっかけになることでしょう。
「仏さま 自然の恵み 多くの人に 感謝して いただきます」と声に出して心をととのえ、食事を楽しく味わう。毎日のことだからこそ、健康的な習慣が大事なのです。

 今月は、心を落ちつけて食事に臨み、毎日「食前感謝の言葉」を唱え、目の前の人や出来事のなかに、有り難いこと・感謝を見いだす練習を重ね、身体(からだ)も心も健康になりましょう。