まほろば 奈良教会長コラム

平成26年1月度実践目標

2014.2.23

『心の眼を開き、生かされている真実にめざめていこう』

 

今月の会長法話のテーマは、「心の眼を開く」です。

新年を迎え、今年も毎日をすがすがしく新たな気持ちで、悦びの日々を送れますように、と願うものですが、なかなかそうはいかないものです。そのように毎日を楽しくすごすコツとは、どのようなことなのでしょうか?

会長先生は、次のようにご指導くださっています。

・ヘルマン・ヘッセの小説「シッダールタ」という釈尊の物語に「世界をそのままに、求めるところなく、単純に、幼児のように観察すると、世界は美しかった」という一節があります。ここに述べられている「単純に、幼児のように」という視点が、じつは日々を清新に楽しくすごすコツといえそうです。

・幼児はよく「これ、なあに?」と親に尋ねます。あのように純粋な気持ちで素直にものごとを見ると、それまで気づかなかったことにも目がとまり、それが驚きや感動を誘います。

  この「気づく」というのは、ものごとのありのままに心の眼(まなこ)が開くことといえます。、気づくというのは、さまざまなことをとおして私たちに問いかけてくださる神仏の声をキャッチすることといえるからです。

・そして、幼児のような素直さ、疑う心や固定観念のない純粋さが、その気づきの感度を磨く…童心は道心に、通じるといえそうです。

・自分を傷つけ迷わせた周囲の言葉はじつはありがたい助言であったと気づいたとき、どん底にいた自分に光が差し、うれしくて涙があふれてきた…。「心の眼が開く」とはまさにこのような気づきではないかと、私はあらためて教えていただいた思いがします。そして、本当に苦しいときこそ、大事なことに気づく契機なのだと。

また、もう一つここで大切なことは、気づきのきっかけはなんであれ、自分にないものには気がつかないということです。ふれる縁に触発されて自分にあるものがめざめたといえるのです。

・私たちにとって大事なのは、生かされている真実にめざめることにほかならず、素直になれば、いつでもそれは可能なのだと思うのです。

 今月は、一見不都合と思う目の前の人や出来事(×・バツ)を一旦白紙で見て、そのまま、求めるところなく受け容れ、ありがたいこと(○・マル)に気づき、生かされていることを実感させていただきましょう。