まほろば 奈良教会長コラム

平成25年12月度実践目標

2013.12.1

『無我になり、内省し、真の寛容をめざして精進しよう』

今月の会長法話のテーマは「他者を歓迎する……寛容」です。

だれもが大らかで寛容な人になりたいと願いながら、現実は相手を許せず、認められず、イライラすることがありませんか。どうすれば寛容の精神を身につけることができるのでしょうか? 会長先生は次のようにご指導くださっています。

・寛容ということを考えるとき、私は仏教思想家として知られる毎田周一師のつぎ

の言葉を思い出します。

「寛容とは、正に『世界は一なり』の認識であり、ここに立脚してこそ、真の人類の平和がある」

・この世にはさまざまな宗教がありますが、めざすところはいずれも自我を捨てて神仏に帰依するという一点であり、どの教えを信じようとも帰依すなわち自我を捨てると、対立することはもちろん表面的な差異にも意味はなくなり、「世界は一つ」という真実の認識に到達する……そこに、ほんとうの意味の寛容があるということです。

・寛容というと、つい相手を許すとか認めると考えがちです。しかし、平たくいえば「みんな一つなのだ」と気づくことであり、それが寛容の真精神ということでしょう。

・寛容は大きくは世界の国々の関係においても、そして私たちの日常生活でも大事な精神ですが、省(かえり)みればしばしば自我が頭をもたげ、寛容の実践が難しいのも確かなのです。

たとえば、人からいやなことをいわれて腹が立ったとします。そのとき私たちは、それが許せないばかりか反撃さえしたくなります。けれども、よく考えてみると、自分にまったく思い当たることがなければ、その非難はほとんど気にならないはずです。むしろ、指摘された点が自分にあるとき、私たちはそれに反応するのです。

つまり、自分にも相手にも同じ資質があり、相手はそれを見抜いて教えてくれたのだと内省できれば、そこに相手との共通点が見出せて、一つになれるのです。そのとき寛容の精神は、慈悲のはたらきによる調和をもたらします。

さらに「世界は一つ」という認識は、私たちに恐れるもののない自信に充ちた生きる智慧を与えることでしょう。なぜなら、それは目先の損得や勝ち負けを超える壮大な視座に立つことだからです。

・一人ひとりの無我と内省、すなわち真の寛容こそ明るい未来を開く礎(いしずえ)といえそうです。

今月は、真の寛容をめざし、思いどおりにしようとする自分に気づき、無我になり、何事も仏さまのなさることと内省し、思いどおりになっていないこと・「×」と思うことを受け容れ、有難いこと・「○」を見出す修行に徹しましょう。