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まほろば 奈良教会長コラム

平成25年9月度 実践目標

2013.9.3

「人に与えることを喜びとする感性を磨き、実践し続けよう」

仏教では、思い通りにならないことを苦といい、さらに思い通りにしようとするとその苦が深まる、思いを捨てることで苦は滅する、と教えてくださいます。どうすれば、思いを捨てることができるのでしょうか?

会長先生は次のようにご指導くださっています。

・今、とてもおなかをすかせたあなたの目の前に、おにぎりがひとつある  とします。ところが、まわりの人も同じように空腹です。みなさん、どうされるでしょうか。

人に譲(ゆず)る人。分け合おうとする人。あるいは、ひもじさから奪い合いを始める人がいるかもしれません。

伝教大師最澄は「己(おのれ)を忘れて他を利する」ことが慈悲を実践する極(きわ)みといわれていますから、仏教徒としてはおにぎりを『まず人さまに』と譲(ゆず)りたいところですが、私たちはなかなか欲から離れられない一面があります。

それでも私たち人間には本能的に、欲望を満たすこと以上の幸せや喜びを感受する能力が具わっているようです。

その感性がはたらくスイッチは何かといえば、人の喜ぶ顔や姿です。

人から一方的に何かをしてもらう喜びより、誰かに何かを与える喜びの方が大きく、自分の行為が人の幸福や喜びにつながるとき、それは生きがいにも通じるのです。

人に利益を与えるとき、そこにはほかのことではとうてい味わえない楽しみや喜びがあり、それはどんな賞賛や損得勘定も超えるということでしょう。

・もっとも、こちらがいくらその人のためにと思っていても、相手の気持ちや都合を無視しては独(ひと)り善(よ)がりになることもあり、場合によっては「余計なお世話」とばかり迷惑がられることさえあるかもしれません。

とはいえ、相手が思いを受けとってくださらなくても、「人に与えることを喜びとする心が自分にもあった」と発見できるのは大きな喜びです。まして人に譲(ゆず)ることができたら「欲をすてられた」と、気持ちがすっきりするのではないでしょうか。それを繰り返していくところには感動と喜びと、心の成長があります。

身で、心で、財物で、人に喜びを与えて得られる喜びや爽快感(そうかいかん)は、「またさらに思いやりの実践を」との気持ちを起こさしめることでしょう。そうして、いつでも思いやりを実践するなかに、生きる喜びを味わうことができるのです。

人が喜ぶのは、自分を認められた時、ほめられた時、と教えていただきます。今月も、ありのままを受け容れ、そのなかに「○」(マル)・「ありがたいこと」を見いだし、伝えていく、このご法を人さまにお与えしていきましょう。

 

平成25年8月度 実践目標

2013.7.31

『「水の流るゝ如く」、現象をありのまま見つめ、受け容れる人間になろう』

今月の会長法話のテーマは、「水に学ぶ」です。

人から何かを頼まれたとき、苦手だ、いやだとあれこれ考えて断ったもののスッキリしない、今日はいやな縁にふれたと心が波立ちスッキリしない、というようなことがよくあるものです。 そんなとき、どのようにして心をスッキリさせていますか?

会長先生は次のようにご指導くださっています。

・水は私たちにさまざまなことを教えています。

「法」という字は「水」(さんずい)が「去る」と書きます。これは、水が自然に高いところから低いところへ流れるように、普遍的な法則の意味があります。

それを私たちの日常にあてはめると、素直になるということでしょう。

少し乱暴な言い方かもしれませんが、苦手だ、いやだと、あれこれ考える前に「はい」といって受けていく。それが仏さまの教え、つまり法に随(したが)う生き方であり、このように実践して初めて法が生きるのです。

私は先ごろ、「こころの眼(まなこ)を開く」を上梓(じょうし)しました。その巻頭に「水の流るゝ如く」と書き添えたのは、私自身がそうありたいとの願いからにほかなりません。

・弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)に「水は自性(じしょう)なし 風に遇(お)うて すなわち波たつ」の言葉がありますが、これは、定まった性をもたない水になぞらえ、日々の縁は受けとめ方しだいであるとも、また、ふれる縁によって心を波立たせることの多い私たちですが、そんなときには、慌(あわ)てず騒がず、現象をありのまま見つめ、受け容(い)れることが大切であるというお諭(さと)しとも受けとめることができそうです。

・道元禅師の和歌「峰の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼(しゃかむに)の 声と姿と」は、「いま私たちが目にし、耳にしているものごとは、みな、そのまま、お釈迦さま(久遠仏))(くおんぶつ)の声と姿であり、説法である」ということです。

・生命に欠くことのできない水、私たちはその水に学ぶことが、たくさんあると思います。

今月は、会長先生に倣って、「水の流るゝ如く」、現象を「ゼロ」「真っ白」「ありのまま」見つめ、受け容れ、「プラス」「ありがたいこと」と受けとめていく生き方を身につけられるよう、精進させていただきましょう。

 

平成25年6月度実践目標

2013.5.31

「すべての存在はありのままですばらしいと、ほめ称(たた)える人間になろう」

今月の会長法話のテーマは、「ほめ称(たた)える」です。

いろいろなご縁を通して、自分も人もともに成長できたらいいですよね。一体どうしたら、そのようになれるのでしょうか? 会長先生は、次のようにおっしゃっています。

 ・ある集まりで、親が子の個性を把握し、その良いところをほめていくと、子どもの美質がどんどん伸びていくというお話をさせていただきました。

 ・利益を追求するビジネス社会でも、社員同士が年齢や肩書に関係なく、良いところをお互いに称(たた)えあう「ほめる文化」の醸成(じょうせい)が、組織の成長につながる重要なテーマであるといわれています。人から認められ、肯定されてこそ、人は前向きになれ、より持ち味が発揮できるのでしょう。

 ・人をほめ称えることは、仏さまの心にも適(かな)う実践といえます。

「妙法蓮華経」という経典の名称を見ても、そのことは明らかです。「この世は美しい蓮の華が咲き匂(にお)うすばらしい世界で、私たちはそれほど妙(たえ)なる世界に生かされている」ということが、ここに示されています。仏さまはこの現実世界をそう讃歎しておられ、もちろんそれは私たち一人ひとりが讃歎に値(あたい)することをも意味し、法華経が讃歎の教えといわれる所以もそこにあります。

 ・ただ、やみくもに人をほめると不信を生むことにもなります。相手に「成長してほしい」と願うのであれば、その人の良いところを的確につかむことが大切です。

では、どうすればいいのかといえば、「ここが良い」「あそこが悪い」といった、その人に対する相対評価からいったん離れること。まず、すべての存在はありのままですばらしいという見地に立ってみる。そのうえで相手に目を向けると、その人ならではの長所、いわば個性の核心が見えてくるはずです。それと同時に、合掌礼拝の心を忘れないこと。ほめ言葉を探す前に合掌礼拝の心と姿勢を忘れないことです。

 ・人はほめられるとつい有頂天になります。また、謗られると落ち込む人がいます。しかし、世の中には自分をほめる人と謗る人が半分ずついてちょうどいい、という考え方もあります。ほめられたときには、自戒し、謗られても「足を引っ張る人がいてくれるから成長できる」と感謝していると、心がどんどん豊かになるに違いありません。そうして人と人が讃歎しあい、磨きあうことで自他ともに成長していけるのです。

  今月は、すべての存在、目の前の人や現象は、ありのままですばらしい、とほめ称える心ぐせを身につけましょう。

平成25年5月度実践目標

2013.5.23

「仏さまの真似をして、人を諭(さと)しながら自分が悟り、仏さまに近づいていこう」

今月の会長法話のテーマは、「怒ること、叱ること、諭(さと)すこと」です。

人と触れ合う中で気づいたことを怒ったり叱ったりして伝えたときに、反発され、悲

しく、くやしい思いをすることがあります。こちらの思いを相手にうまく伝えるには、どのような縁になればいいのでしょうか?

会長先生は、次のようにご指導くださっています。

・人間関係の大前提として人を尊重することがなければ、どんな教育も指導も躾(しつけ)も、相手の心には届かないでしょう。

辞書によると「怒る」とは、「激して気が苛(いら)立つこと」で、「叱る」とは、「声を荒立てて欠点を咎め、責めること」とあります。怒るのは論外にしても、人を叱って気持ちのいい人はいませんから、相手と心を通わせるには、やさしく諭すというあり方がふさわしいように思います。

 ・たとえ、愛情による叱責であっても、受ける側の気性によっては誤解を生ずることもあるでしょう。また、叱り諭す側の姿勢いかんで、威圧感が強く伝わる場合もあります。

 釈尊の十大弟子のお一人、舎利弗尊者は「叱るのにふさわしい時を選ぶ」「やさしく穏やかな言葉で話す」「慈しみの心で話す。瞋(いか)りの心では話すまい」などの戒めを修行者たちに伝えています。

 私たちはつい言わなくてもいいことを言ったり、感情的に怒ったりしがちですが、そういうときこそ、相手を尊重する気持ちと自己を省(かえり)みることを忘れずに、と舎利弗尊者は教えています。それは、そもそも「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)だからであり、「みんな仏の子」であるからです。

 ・それでも、とっさにはそのように冷静な対応はできないということであれば、感情が高ぶっていると感じたとき、仏を念じてみてはどうでしょうか。

「諭す」とは神仏が啓示、警告をして気づかせるという「悟り」に通じる意味と、言い聞かせて納得させる、教え導くという意味がありますから、人を叱ったり諭したりすることは、じつは自分自身が大切なことを学び、気づき、悟らせていただく機会といえるのです。人を思いやるやさしさがあったか、心から相手の成長や幸せを願ってふれあっていたか…。叱責(しっせき)も諭すということもそうした内省とともにあり、だからこそ叱られた人の胸には、「あのとき叱られてありがたかった」という思いがわき起こるのでしょう。

 叱られたことが感謝に変わる…いずれの場合であれ、そう願わずにはいられません。

 今月は、人を諭すという、仏さまの真似をして、自分も人も仏さまに近づく練習をさせていただきましょう。

4月度実践目標

2013.4.1

『変化をあるがままに受け入れ、そのなかに「ありがたいこと」を見出していこう』

 今月の会長法話のテーマは、『「驚き」から創造が』です。

四月八日は釈尊がお生まれになった日です。私たち会員は仏教徒であり、幸せになりたい、生きがいある人生を送りたいと願い、それを得るために釈尊の教えを学び、実践しようとしています。釈尊の教えの中で何が一番大事か、釈尊が私たちにこれだけは知ってほしいと願われた教えは一体何だったのでしょうか。

会長先生は、「無常」(すべてのものごとは、絶えず変化していて、ひとときもとどまることがない、ということ)であるとおっしゃり、今月のご法話の中で次のように教えてくださっています。

 ・普段私たちは変化に乏しい日々を送る傾向があります。生活がマンネリ化して日々の変化に気がつかず、見ているようで見ていない「こと」や「もの」が、意外に多い気がします。その惰性に流れがちな生活のなかで、それを打ち破るのに、「不思議に気づく」ことや「驚く」ことがとても大切だと思うのです。

・新たな人や環境にふれるという変化に苦手意識を持つとき、好き嫌いという自分の感情や狭い価値観に捉われていることが多く、それゆえかたくなになりがちです。

人が変化に順応するのは、新たな出会いによる刺激や環境の変化の影響を受けて自分を変えることです。それは、より創造的に生きるということであり、人間的な成長をうながすとともに、人生において大事なことを発見するチャンスでもあります。

・日常の小さな変化を見つけたり、出会いを成長や喜びに変えるには何が大切なのでしょうか。そのコツの一つは、素直になることです。

「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」という歌があります。このように目の前のことをあるがまま受け入れる素直さが、一つの出会いを宝物に変えるコツなのではないでしょうか。

あるいは、自分は何もしないのに、毎日、洗濯してくれる人がいて気持ちよくすごせることについて、「ありがたいなあ」と感嘆の声をあげてみる。そうした素直な感謝から生まれる小さな気づきの延長に、「いま生命(いのち)あるは有り難し」という人生の大事な気づきがあるのでしょう。

・釈尊が別世界から降りてこられたといわれるように、私たちも真如の世界からやってきたのです。だからこそ、水の流れのように、真理を学びつづけることが大切なのです。

今月は、自分にとって不都合な変化・縁もあるがままに受け入れ、そのなかに「○」(マル)を見出し、「ありがたい」と感謝していく世界を味わっていきましょう。

3月度実践目標

2013.3.11

『出会う人も現象も仏心を引きだしてくださる観音さまと受けとれる自分になろう』

 今月の会長法話のテーマは、「心に寄り添い、ともに歩む」です。

三月五日は七十五回目の立正佼成会創立記念日です。草創のころ、開祖さまが真剣に願われた「人を救い、世を立て直す」とは、一体どのようなことなのか、学ばせていただきたいと思います。

 会長先生は、今月の御法話の中で次のように教えてくださっています。

・法華経に登場する観世音菩薩は、現実の社会で苦しむ者の声を聴きとり、さまざまな姿、形に身を変えて、救ってくださるといわれます。

  ただ、一昨年の東日本大震災のようなことが発生したとき、私たちはなすすべもなく立ち竦(すく)んでしまいます。「実際に自分自身が味わったことのない困難をどう受けとめればいいのか」、「苦しむ人の心に寄り添い、ともに歩むとはどういうことか」を考えさせられました。あの日以来、多くの人が「自分に何ができるのか」と、慈悲の実践ということについて思いをめぐらしてきたのではないでしょうか。

苦しんでいる人たちのことを忘れることなく思いやり、苦悩が少しでも和(やわ)らぐようにと心から願うことが、それらの人に寄り添うこと、慈悲の実践をすることといえそうです。

 ・見方を変えると、そうした行ないは「生かされていることへの恩返し」ともいえるのです。生きとし生けるものはみな、あらゆるものからの恩恵を受けて生かされています。人さまを思いやり、自分の持てるものを与えることは、大いなる恩恵に対するささやかなご恩返しといえるのではないでしょうか。人さまに何かしてあげようと思うと、私たちはつい気負うことがあります。ご恩返しであれば、ただ、させていただくだけでいいのです。

私たちにできることは小さなことかもしれません。「人を救い、世を建て直す」という本会の創立精神に照らしても、会員綱領に「家庭・社会・国家…」とあるように、私たちの日々の思いやりが、社会にぬくもりの輪を広げる起点となっていきます。

 ・そして、そのような心が働くのは、慈悲の心を起こさしめてくださる観音さまがいらっしゃるからです。その観音さまに慈悲と智慧を学ばせていただくことが、「ともに歩む」ということだと思います。

  さまざまな姿や形をみせて、仏心を引き出してくださり、大切なことを教えて下さる有り難い観音さま。それは、実は、家族や友人、出会う人や現象なんだと教えてくださいます。今月は、この救われの世界・ものの見方を、自分も人も、ともに味わい、身につけられるよう、しっかり精進させていただきましょう。

12月度 実践目標

2012.12.1

『ものの見方をニュートラルにして「おかげさま」という感謝の種をみつけよう』

今月の会長法話のテーマは、『「おかげさま」を数えてみよう』です。

 一年を振り返って、何かにつけて不平不満や恨み言を口にしたり、自分に不都合な変化が起こると、それを受入れられず、苦に感じることが多くなかったでしょうか。 

会長先生は、その苦が喜びや生きがいにつながり、悲しみが心の成長をうながし、怨みにさえ「ありがとう」をいえるような大転換ができる智慧を次のように教えてくださっています。

・私たちは、数えきれないほどのご恩とその一つ一つの縁によって生かされていると同時に、一人ひとりが他を生かすご縁の一つでもあるといえそうです。ところが、ふだん、そのことを忘れて、何かにつけて不平不満や恨み言を口にしがちです。また、無常の法に照らせば当たり前のことであるのに、自分に不都合な変化は受け入れられず、多くはそれを苦と受けとめます。

・仏教で「色即是空」(しきそくぜくう)と説くように、現象そのものはプラスでもマイナスでもない、ゼロであり、「空」です。つらい、悲しい、苦しいと思う心を一度ゼロにし、まっさらにして、目の前に起きた現象をありのままに見直すと、おおらかな受けとめ方ができます。

・その根本は縁起や無常、空などの真理の認識にある。真理を学ぶことにより幸せを受けとめる感度が高まるといえるかもしれません。

・当たり前の日常に感謝し、そこに幸せを感じる習慣を身につけると、自(おの)ずと愚痴や不満が減っていきます。

・仏さまの教えを学ばせていただくなかで、愚痴の多かった己を省み、「見方を変えれば、ありがたいことはいくらでも見つかるのだ」と気づけたことが何によりも「ありがたい」と思うのです。

・「ありがとう」をいい、感謝の気持ちを行動にあらわすことで人に喜ばれ、それが感謝されることにつながる。自他の心をぬくもりで満たすこのような交感は、私たちに喜びと生きがいをもたらします。とりわけ、仏さまの教えをお伝えする利他の実践は、明るい人生を創造する大きな力となるでしょう。

なぜなら、仏さまの教えは、どれほど暗く沈んだ人の心にも、明るい「感謝」という一条の光を与えるものだからです。

今月は固定的になりがちな(バツの)ものの見方、受けとり方をニュートラル(真白)にして、「おかげさま」という種(マル)をたくさん見つけ、新たな年を迎えましょう。

平成24年次 11月度実践目標

2012.10.31

「相手の過失を語るのではなく、善いところを発見していく徳を養い、発揮しよう」

今月の会長法話のテーマは、「徳を養い、発揮する」です。

仏さま、開祖さまをたくさんの人がお慕い申し上げますが、どうしたら、仏さま、開祖さまに近づけるのでしょうか? 会長先生は次のように教えてくださいます。

・開祖さまが列車内でトイレ清掃をされたように、人に知れないように行う善行・陰徳(いんとく)を積むことを大切にするよう教えられてきました。

・仏教は智慧と慈悲の教えといわれます。真理を悟ることは、智慧に当たり、それを他人に伝えることが慈悲に当たるでしょう。この智慧と慈悲が一体となるところは仏の世界であります。徳を積み、徳を身につけるとは、仏の世界へ向けての菩薩行にほかなりません。

  仏教は自覚の教えともいわれ、真理を明らかにし悟りを開く、すなわち智慧の宗教であることが仏教の特徴であります。たとえば、縁起の法を学び、あらゆるものに生かされていることに気づいたとき、見るものふれるものに感謝せずにはいられません。 そうしてその喜び、感謝を他人に伝えたいという心がわいてきます。

・徳を積む、という語感から徳を貯(た)めたりふやしたりするもののようにとらえがちですが、善いことを繰り返し繰り返し行なうその一瞬一瞬の実践が心を豊かにし、喜びと楽しみを味わうことができるのです。

・明恵上人(みょうえしょうにん)に、「他人の過失について語る人は、わが身に徳のない者である」という言葉があります。「相手の過失を語るばかりでその徳分が見えないのは、自分に徳がないためである」という指摘です。

  相手の善いところを見よう、徳分を発見していこうという見方ができるとき、人は大きく成長しているときです。相手の徳(善いところ)が見えないときは、智慧の眼が曇り、謙虚さを失っている状態といえます。智慧の眼が曇っていると気づいたら、「まず人さま」という利他の心を思い起こし、相手の善いところに目を向けて、智慧と慈悲の心を取り戻したいものです。

・道元禅師が作務(さむ)の心得として示された次の三つの心は、私たちの生活の指

針になることでしょう。人さまの幸せを喜び、何事も感謝で行う「喜心」、思いやりをもってことにあたる「老心」、すべてを大らかに観る「大心」の三つですが、開祖さまのお徳を端的に示しているように感じられます。

 今月は、相手の過失(バツ)を語るのではなく、開祖さまのように善いところ(マル)を発見していく徳を養い、発揮する、礼拝行に取り組みましょう。

10月度実践目標

2012.10.2

「あなたはすばらしい、あなたは救われている」と合掌礼拝の心と姿勢でふれあおう

  今月の会長法話のテーマは、「みんなすばらしい」です。

 思いどおりにならないことが続いたり、人と比べてさびしさを感じ、自分に自信がもてず、どうせ自分なんか、と自己否定に陥り苦しんだことはありませんか?

 そんなとき、どのようにして、乗り越えていますか?

 会長先生は次のように教えてくださっています。

 

 ・『「すばらしい力」が生きてるものぜんぶにあたえられている。きみも、きみも、き   みも、…、なにかはわからんが、みんな「すばらしい力」をひとりひとりが持ってる』という椋鳩十(むく はとじゅう)さんのお話は仏さまの教えの本質に通じるものが示されているように思います。

  みなすばらしい力をもった存在であるというのがありのままの姿といえましょう。

  この世界は三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)という真理のはたらきのただなかにあります。それは、すべてが大いなる一つのいのち・根源のいのちを生きているとも表現できます。つまり、みな等しく仏性そのものといえるのです。

 「ひとりひとりが持っている」というその力、輝きに私たちが気づくこと、自覚することが大切です。

  ・自分の力や輝きに気づけない人が数多くいる。その現実のなかで、だれもが自分を尊ぶことができ、周りの人にも同じまなざしを向けられるようになるポイントの一つが、あらゆるものを賛嘆する法華経の教え、とりわけ常不軽菩薩の教える合掌礼拝に徹する精神と姿勢です。

  ・常不軽菩薩に倣(なら)い、だれに対しても「あなたはすばらしい」と合掌礼拝の心と姿勢でふれあうことが、現今は本当に大きな意味をもつ時代です。

  それはいわば仏さまの本願そのものであり、そのご縁を一つのきっかけとしていのちの尊厳、自他の尊さに気づいた人が自己肯定感を取り戻せるように願わずにはいられません。

  それには、私たち一人ひとりも真理を認識し、仏の慈悲と智慧をいただくことが大切です。そして「みんなすばらしい」とは、「みんな救われている」ということにほかならないのです。

 今月は、一見不都合な人と思う目の前の人にも、だれに対しても、不平不満をいうのではなく、その人のなかに、すばらしいところ・救われているところを見出しほめる・「合掌礼拝の心と姿勢」でふれあう自分づくりをさせていただきましょう。

 

9月度 実践目標

2012.9.3

「息を調え、生かされていることへの感謝の自覚を持とう」

  今月の会長法話のテーマは、「息を調(ととの)える」です。

 思いどおりにならないと心が波立ち、さらに思いどおりにしようと怒って興奮し相手を責め、イヤな関係になってしまうことはないでしょうか。

 そうならないにためには、どのようにすればいいのでしょうか?

 会長先生は、今月の会長法話で次のように教えてくださっています。

 ・釈尊の教えの一つに、息を吸ったり吐いたりするたびに、「私はいま長く息を吐いている」「長く息を吸っている」というように念じ、呼吸に意識を向けると、貪欲やよけいな思い煩いにふり回されない安定した心が得られる、と教える経典があります。

  ・仏教は自覚の教えといわれます。一人ひとりが真理のはたらきに気づき、自らをコントロールすることが大事ですが、呼吸に意識を向けるのは、人間の生きる原点である息をとおして身心をコントロールする身近な方法です。

 ・荘子は「深い呼吸が穏やかで高い徳を具えた人をつくる」という意味の言葉を残しています。

 その意味では、深い呼吸が心を調えるうえで大切ですが、ふだん、ことさら息に意識を向けたり、習慣的に深い呼吸をしたりすることはあまりありません。しかし、ほんとうは日常生活のなかで、ゆったりと息をすることが大切なのです。

 そこで、たとえば朝と晩、読経供養が終わったあとの三分から五分をそうした時間にあててみてはどうでしょうか。

 仏前で正座のまま、握りこぶし二つぶんくらい膝小僧のあいだを開け、体を左右に揺らして姿勢を調えます。そうして口から息をゆっくりと吐き出し、吐ききったら自然に入ってくる吸気を鼻からとりこむのです。

 そのとき、「喜びを感じながら息をしよう」「心を鎮(しず)めて息をしよう」「無常を観じながら息をしよう」と、念を凝らしながら呼吸をすると、身も心も落ち着いてきます。

 同時に、呼吸や心臓が一瞬も休まずにはたらいてくれている「いのち」の不思議に気づくと、「生かされている」ことへの感謝の自覚が生まれます。

 その自覚が、欲や慢心からわが身を守り、自己コントロールという「大果・大功徳」をもたらすのです。

  今月は、朝晩の読経供養のあと、身心を調える深い呼吸をする習慣を身につけ、「生かされている」という感謝の自覚をしっかり持ち、「仏さまに護られている」「何ごともすべて仏さまのなさること、悪いことが起こるはずがない」と信じて任せ切る自分づくりに取り組みましょう。