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まほろば 奈良教会長コラム

平成三十一年三月度実践目標

2019.3.1

幸せを生みだす私となろう ~いつでも、だれにも、「明るく、優しく、温かく」~

    

 日々ありがとうございます。

今月から、奈良教会の幹部家への参拝を開始させて頂きました。奈良教会の【いしずえ】を築いて下さいました方々のご先祖様への、御礼とお通しをさせて頂きたいとの願いで訪問させて頂くお手配を頂戴しております。どちらのお宅に行かせて頂いても、とても学びの出会いをさせて頂くことが多く、ここまでに到るまでのご苦労やご修行による喜びのお話しを沢山伺えていますことに、先ずもって感謝申し上げます。

更に、ご家族が陰役としてお支えくださり、幹部さんのご修行と共に努力精進して下さったことが、各家での喜びのお姿を(幸せ)として拝することが出来ました。

今後も引き続き、先輩幹部さんや、幹部家のお参りをさせて頂きたいと願っておりますのでお手配いただけますようどうぞよろしくお願いします。

 

さて、佼成三月号では、会長先生より『自他の幸せを願う心』と題してご法話を頂戴しました。前項の「「仏の子」だからこそ」の中で、誰もが、自分や家族の幸せを願っており、同時に他人の幸せをも願う心を持ち合わせていると、お心を頂戴しました。しかし、「仏の子」であるという自覚が、あるかないかが大事であり、「仏の子」であるという自覚とは、仏さまの教え、真理、法を受けとめたときに、納得や気づきをなしたことが、「仏の子」である証明ともなり、自他の幸せを願い、周囲に幸せを運ぶ【菩薩】の一人といえると教えて頂きました。

また、後項の「生きた経典として」では、入会者即布教者、について〈自分が迷いから抜け出すことが出来ていなくても、仏の教えを聞いた人は苦しむ人たちを救うことが出来る〉という経典の内容をお示しくださり、自身の救われた体験は、同じように苦しんでいる人にとって、幸せへの道筋であり、前項に示された、周囲に幸せを運ぶ【菩薩】だと受け止めさせて頂きました。

更に、幸せを生みだす私とは、救われた体験を持つ私が大切にすることとして〈いきいきと明るく生きる自分の姿を通して、苦悩に沈む人の心に真理の光を届け、安らかな人生に導いていく〉とお示し頂き、具体的には、『いつでも、だれにも、「明るく、優しく、温かく」の姿勢を忘れないことと』ご指導いただきました。

 

仏の子であると自覚した私たちは、(救う)ことに対する自信や勇気が無くても、教えが完全(りっぱ)であるからこそ、苦しむ人たちを救うことができます。その尊い行動の中に仏さまの教えが息づいているという会長先生のご指導に沿って、心配せずに、『いつでも、だれにも、「明るく、優しく、温かく」』多くの人に出会って参りたいと存じます。

 

最後に、三月は、創立記念の月であります。創立の精神といわれる、【現実に人を救い、世を立て直す】という開祖さまの願いによって幸せを頂戴した御恩に報いるためにも、皆さまとともに一人でも多くの苦しんでいる人に(幸せ)を生みだす。働きを目指して元気に

修行精進して参りたいと存じます。

                 合 掌

奈良教会長 中村 浩士