まほろば 奈良教会長コラム

平成29年5月度実践目標

2017.5.1

有り難しが「ありがとう」となるよう、 

    おかげさまに気づく幸せ感を味わいましょう

 

若葉が燃ゆる、青年の月を迎えました。五月の第三日曜日『青年の日』には、多くの

青少年が平和の実践を通して「社会変革の風」を起こすことを期待したいと思います。

会長先生のテーマは、「させて いただく」です。次のようにご指導下さってます。

 

今月のテーマである「させていただく」について、仏教の篤信者として知られる工学博士の森政弘先生が、つぎのようにおっしゃっています。

「仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」

(『今を生きていく力「六波羅蜜」』教育評論社刊)

たとえば、自分の力で立っていると思っている人も、「じつは大地の支えや重力があるからであって、何をするにしてもただ一つの原因とか、自分だけの力によるのではなく、他の力などによって可能なのである」というのです。ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりする~~~すなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が、「させていただく」なのです。

その意味でこの言葉には、本来、私たちを常に「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。

「おかげさまでさせていただくことができます」という気持ちです。

私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、先ほどお話ししたように、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」

という気持ちのあらわれです。ところが、この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「してやる」といった自我が顔をだします。そこで、たとえば「させていただく」の前後に「おかげさまで」や「ありがたい」を添えると、それがそのまま素直な気持ちになります。ものごとは形がとても大事であるといわれますから、繰り返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていれば、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、いつでも心からそういえるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧のような、とらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

ただ、心から「させていただきます」といい、神仏への感謝の念をもってとりくんでいることも、それが必ずしも喜びや楽しさに直結しないケースもあるでしょう。介護やボランティアの現場では、複雑な思いでとりくむことも少なくないと聞きます。だからこそ、信仰をもつ私たちは、日ごろの生活のなかで仏さまへの帰依の念を養い、「大いなるものに生かされている自分なのだ」という自覚と感謝に目ざめることが大事なのだと思います。