まほろば 奈良教会長コラム

令和元年八月度

2019.8.1

令和元年八月度 ご法話を学んで
自分の「宝」を輝かせる

日々ありがとうございます。七月二十一日に行われた第二十五回参議院選挙に際して、本会の政治に対する基本姿勢「五項目」(生命を守る、平和主義の推進、思想・良心・信教の自由を守る、政教分離の原則を守る、政治倫理の確立)を基に、日本の将来を考える機会としてそれぞれが主体的に取り組んで頂きましたこと感謝申し上げます。

今月は、『自分の「宝」を輝かせる』と題して、会長先生よりご法話を頂戴しました。
ここ数年来、世間の論調として、自己肯定感の低い人が多くなってきているとの話を学んだことがありますが、会長先生より前項に「自信のもちにくい時代」についてお示しいただきました。他人と比べ羨ましさや劣等感を抱くことで口惜しさをバネに努力を重ね、能力を発揮して、向上を目指す人も多いのです。と逆境を糧に自己実現にたどり着くことが出来ることがあるが、仏教的価値観では、人と比べる見方がものごとを見る目をいかに曇らせるかを教えており、人をうらやむ気持ちが生まれても、必要以上の欲望や無益な憎しみに発展させないよう、心を制御(コントロール)することが大切なのだと教えて頂きました。

しかし、自身のまわりを見渡すと、劣等感を抱くあまり生きる自信を失くし、自分の価値を見出せないと苦悩している方が多く見受けられます。それは、法華経の信解品にある「長者窮子の譬え」のお話を引いて、自分は取るに足りない人間だという卑屈な思いを拭いきれないことであり、なぜ、そのように自信の持てないという人が増えているかというと、欲望を刺激する情報が過剰にあふれるなか、自身の将来像が、容易に推し量れる時代だから希望を待てないのではないかという投げ掛けを頂いたものと存じます。

後項では「仏性を輝かせる」として、人生は「縁」によってどのようにでも変化し、固定したままで存在するものは何一つないと教えて頂いているのに、自分は不幸だというレッテルを自分自身で貼りつけ苦しんで、自信や希望を失くしてしまっては、授かった命がもったいない。自分が不幸なのは世の中のせいだといった思いこみにとらわれると、成長の糧となるはずの劣等感は向上心の裏返しとはならず、向上心に結びつかないのではないかと教えて頂きました。

更に、長者窮子の譬えの終盤に、長者から財産のすべては、窮子(自分)の物だと告げられ、全ての財産(宝)は自分のものであるということを気づかされる瞬間は「すべての人が仏の子であり、仏と一体の仏性そのものです。だから、自信をもってその自分の宝(仏性)を輝かせなさい」との真意がこめられているということと合わせて、更に、「自らの宝に気づいて喜ぶだけではなく、まだそのことを知らない人に自分の気づきをお伝えしてその人の宝を照らす触れ合いをしていくと自分の「仏性」がより一層光り輝くことを教えるのです。」とまとめを頂きました。

先日、近畿支教区で青年男女部員練成会に責任者として参加させて頂きました。そこには、近畿のあちこちから集まった、青年の皆さんは様々な心境の中で参加して下さったことでしょう。その状況でも参加の青年たちは一生懸命に学びを深めていましたが、私自身今一つピリッとしない、なにか言いようのない雰囲気のまま、二日目の朝を迎えていました。その時、総責任者さんが、スタッフ皆さんの、人を救おうとする心に真剣に訴え、今この瞬間のご縁の大切さを諭されました。その後の、スタッフの触れ合い方が変わり、まるでスイッチが入った音が聞こえるようでした。それに呼応するように参加者にも、命の尊さを説いて下さり、このご縁によって会場全体が一つになっていく感覚を持ちました。

ずっと、私の中にあったスッキリしない気持ちは、この一体感だったのだと理解し、共に生かし生かされている仲間として認識できたことが、とてもありがたい練成となりました。このご縁がそれぞれの教会において更に拡がりを持っていくことを期待し、我が奈良教会の青年男女部の仲間がより一層一体となっていくことも期待できるものとなりました。最後に、今回のこの練成は、私に仏さまが顕して下さった説法であったと思います。

 

自身の存在価値の尊さを掴むことが出来れば、持ち前の力(個性)を発揮して、人を幸せにする行いに発展することができることをあらためて深めて頂きました。
青年のみならず、私たちサンガとのご縁もこちらの心持ち次第で、仏性を呼び覚ます出会いとなって、お互いに幸せを目指す仲間として歩いて行けると深く確信をさせて頂きました。その確信をお互いさま目指して、今月も皆さんと共に元気に修行精進して参りたいと存じます。

合 掌
奈良教会長 中村 浩士