まほろば 奈良教会長コラム

平成三十年五月度実践目標

2018.5.1

真理にあった、調和のとれた、目的にあった

                見方(観方)を実践!

 

青年の日を迎える月です。第三日曜日に、総力を結集して社会変革の風を起こすべく、「青年の日」を意識し、今月は青少年と一体となって布教に邁進したいと思います。

会長先生のテーマは「楽しく生きる」です。次のようにご指導下さってます。

 

少し前の話になりますが、今年の一月から二月にかけて、日本では全国的にまれにみる大雪となりました。本会の年中行事である「寒中読誦修行」(寒修行)の期間も雪が降って、道場に足を運べない方も数多くいたようです。そうしたなか、東京でも交通機関が停滞するほどの降雪でしたが、そのとき、大聖堂でこんな声を聞いた人がいます。

「人がせっかく寒修行をしているのに、どうしてこんなに雪が降るんだ!」。早朝に家を出て、自動車やバス、電車で参拝する人にとって雪は困りものですから、グチが出るのも当然かもしれません。一方で、ある人はつぎのような声を耳にしています。

「雪のおかげで、ほんとうに寒修行らしい修行をさせていただけて、ありがたい!」

さて、みなさんは、どちらの見方をする人が、楽しく生きられると思いますか。私は、後者に軍配が上がると思います。けっして、むずかしいことをいっているわけではありません。ただ、天地自然の変化を素直に見て、それをありのまま受けとめているところがすばらしい。しかも、素直に受けとめているだけなのに、自分にもまわりの人にも、寒さや眠気を吹き飛ばすように感じさせるのはなぜなのでしょう。それは、ものごとを「正見」で見るか、どうか、その違いだと思うのです。

 

仏教で説く「八正道」の「正見」は、「正しい」という言葉の語感から、容易にはできないこと、悟った人だけが会得できることのように思いがちです。先の雪の日の例のように、天地自然のはたらきを素直に見る─それが「正見」ではないでしょうか。

「正見」はまた、邪な見方や偏った見方、つまり自己中心の見方で見ると、不平や不満、あるいは怒りを覚えることも、大らかに受けとめることで、その結果、気持ちが楽になる見方ともいえます。

また最近、心臓の手術を終えて退院された方が、「これまでは、心臓が動いていることに感謝したことなどありませんでした。でも、それは当たり前ではなかったんですね」と、しみじみ話してくれました。「ああ、これが正見なのだな」と、そのとき私は教えられた思いがしました。「諸行無常・諸法無我・一切皆苦」という、この世の真理に照らしてものごとを見る。それが、「苦を滅する正しい道」として教えられる「八正道」の、最初に説かれる「正見」です。それは、仏さまの教えに則って生きる基本であり、またすべてということができるかもしれません。