まほろば 奈良教会長コラム

平成28年8月度実践目標

2016.8.1

三つの実践、三つの基本信行は、“まず 自分から”という

思いやりの心・ほとばしりの心で!

 

十五日は、戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日です。また、今年から施行される国民の祝日「山の日」を通して、天地自然の恵みに感謝したいと思います。

会長先生のテーマは、「まず自分から」です。次のようにご指導下さってます。

・私はときおり自宅の周辺で、道路に捨てられたゴミを拾うボランティアの若者たちを見かけます。じつに清々しい光景です。私も散歩がてら、妻とともに道に落ちているゴミを拾い集めたことがあります。そのときに気づかされたのは「捨てなければ拾わなくてすむ」という当たり前のことですが、そのおかげで「私はけっして捨てまい」と心に刻むことができました。同時に、道が汚れて気になるのであれば、人を責める前に「まず自分から」行動おこせばいいということを教えられた気がします。

気づいたら、まず自分から~~ゴミ拾いに限らず、それは気持ちのいい日常生活をおくる手立ての一つです。そこで大事なのは、その行ないが自然な心のはたらきであること、そして実践する自分がそれを楽しいと感じることだと思います。

私たちは、みな仏の御いのちをいただいている菩薩です。ですから、「している」という意識や、「させられている」という不満があると楽しみにはならないでしょう。大自然が無償の恩恵を注ぐように、困っている人がいたら自然に手を差しのべ、汚れている場所があれば率先してきれいにする。そしてそれが楽しいという以外、何もとらわれるものがない。仏の遊戯三昧にも似たそういう心であることが、「まず自分から」の実践ということになるでしょうか。

・この春、熊本県を中心に大きな地震が発生しました。だれにいわれるでもなく物資を届け、話に耳を傾け、一緒に涙して苦しむ人を励ましつづけた方々。そのなかのお一人は、「自分がなぜ、寝食も忘れてそうするのか、自分でもわからない」と語っておられたそうです。

「仏は慈悲して慈悲を知らず」という言葉がありますが、自らの心に突き動かされ、そうせずにはいられない。だから、けっして苦しいともつらいとも感じず、むしろそのご縁を喜びと受けとめて走り回っておられる様子が目に浮かびます。

「まず自分から」と率先躬行し、あるいは「まず人さま」と心を砕き、まさに心の銘じるまま、とらわれることなく、喜びをもって救いに奔走されたみなさんの、こうした話をうかがうと、一人ひとりの思いやりが実践にうつされたとき、そこにどれほど大きな安心が生まれるのかをあらためて教えられた思いがします。

家族を労り、まわりの人を思って「まず自分から」心を寄せ、力をあわせるなかに、みんなが気持ちよく生きられる平和な世界が訪れるのでしょう。また、平和という意味では、積極的な行動だけがそのための「実践」ではなく、批判したくなるような人や許し難い人を包容していくこと、そういう意識の変革も、私たちの大切な実践行ではないでしょうか。