まほろば 奈良教会長コラム

平成26年9月度実践目標

2014.8.31


「神仏の恩恵に感謝し、謙虚に、悦びの言葉を伝えていこう」

 今年は「悦びを伝えよう」を合言葉に、私たち会員の今生の目標である「明るく」「優しく」「温かい」自分づくりに取り組んできましたが、悦びが相手の心に届くのは難しかったのではないでしょうか。どのようにすれば、それができるようになるのでしょうか?    
会長先生は、次のようにご指導くださっています。

・私たち人間は、生きとし生けるもののなかで唯一、言葉をもつ存在です。私たちが仏法に巡りあえたのも、およそ二千五百年前から、多くの人びとが言葉によって真理・法を伝えてくださったおかげにほかなりません。その恩恵をこうむるからこそ人間らしい生き方ができ、仏道を歩むことができる有り難さを、私たちは当たり前のようにしてすごしています。
真理に随(したが)ってものごとを見ること(智慧)も、その智慧にもとづいて人々に安心を与える慈悲の行ないも、言葉を使うことができるという恩恵を最大限に生かすことといえるかもしれません。
 その意味でも、私たちはいま一度、言葉の有り難さをかみしめ、神仏からの贈りものをとおして周囲をいっそう思いやることが大切です。そして、それはそのまま法を伝えることになります。

・私たちは、言葉をはじめ人間に与えられた恩恵に対する感謝を忘れてはなりません。では、そのために何をすればいいかというと、まず「自分」を見失わないことです。
 全体のなかのほんのわずかな人間、神仏に生されている自分、この自覚に立つと、口にする言葉にも自ずから「ありがとう」や「おかげさま」という感謝の心がこもります。人と人の心をつなぐのは、こうした感謝の言葉であります。

 ただ、ここでもう一つ大切な点を付け加えれば、それはどのような言葉が大事かではなく、どのような自分がその言葉を発しているのかという点です。端的にいうと、いっていることとやっていることが一致しているかどうか……言葉が相手の心に届くかどうかはそこにかかっているのだと思います。人が信ずるに足る言葉とは、発するその人がどのような生き方をしているかによります。

・また私たちは、仏さまの眼から見れば、ほんのわずかなことしか知り得ない未熟者ですから、人と話すときにはつねに謙虚であることを忘れてはならないでしょう。

 今月は、唯一言葉を使える存在であること、生かされていることをしみじみと味わいながら、一見不都合と思う目の前の人や出来事のなかにも、恵まれていること・有り難いこと・感謝を見いだし、人にもその受けとめ方の悦びを謙虚に伝えていきましょう。